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渡瀬城跡 登城日:(2002.06.15) 所在地: 美嚢郡吉川町渡瀬、県立吉川高校 |
歴史 | ![]() 中世平山城として天険を誇った堅城であった渡瀬城は、代々渡瀬氏が治めていたが、天正六年(1576)の羽柴秀吉の播磨攻めによってまわりの状況が一変した。 三月、秀吉が加古川の糟屋武則の館に入った時、当地方の領主であった別所長治が毛利に通じて籠城を決したため、渡瀬好光もそれに従い渡瀬城の防護を固めた。 が、多勢に無勢で、渡瀬城は三木城が落城する前に激戦の末、落城。好光は自ら城に火を放って縁家である伊丹城の荒木村重を頼って、落ち延びていった。 三木市教育委員会刊『別所氏と三木合戦』参照
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資料 |
私見 | ![]() 城跡とされてます吉川高校は高台の上に建てられていて、北側になる正門のすぐ下は急な崖(崖といっても2〜3mほど)になっています。あまりいろいろ見てまわれないのが学校という城跡の悲しさ(笑)ですね。
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