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朝倉城跡
登城日:(2004.08.08)
所在地: 養父市八鹿町朝倉
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
朝倉城跡登城口です。 朝倉城跡主郭  八鹿町朝倉は福井市の一乗谷で栄えた大名、朝倉氏の発祥の地である。朝倉氏は孝徳天皇の皇子、表米親王を始まりとする。平安時代末期に地名を苗字として朝倉氏が興り、朝倉高清を初代とした。その中から八木氏、宿南氏、奈佐氏などの多くの武将を輩出した。
 朝倉城は集落の南西の丘陵にあり、東西130m、南北110mの規模をもつ。室町期に作られた城郭を堀切や竪堀で戦国期に改修して守りを固めている。
 宝篋印塔はお経をおさめた供養塔である。高さは230センチメートルあり、塔身の月輪内には金剛界四仏の梵字をきざむ。室町期の十五世紀ごろの造立と推定されている。
 トゲがなく味香りが優れている朝倉山椒の原産地である。出石藩から将軍徳川秀忠公に献上されたほか、朝倉義景公にも献上された。朝倉という集落名が、様々な由緒を育みながら歴史と伝統の重みを現代に伝えている。

『朝倉城跡案内板』より

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資料
 

私見
南側には一番大きな堀切が  朝倉城跡は遠くからだとわかりやすいのですが、いざ朝倉集落の中を進んでいくと迷いそうになります。私も地元の方に道を聞きながら登城口に到達しました。車はすぐ横にあるお堂前に停め、そのまま登城道である墓地をあがっていきました。
 墓地をあがってすぐのところが城跡へと続く道なのですが、動物除けの金網で封鎖されています。が、登城者は自由に出入りしていいようです。ちょうど墓地の草刈りをされている地元の方に話を伺うことができましたが、それによりますと「最近、いままで朝倉城とされてきたところより南側に新たに朝倉城の曲輪であるとわかった」なのです。どうも朝倉城はいまだ熱心に調査をされているようで頼もしい限りです。従来のお城を”北城”、その南側の堀切の先に新たに発見されたものを”南城”として区別して呼ぶこともあるそうです。いいことを聞きました。なんだかRPGのキャラクターになった気分です。(^^;
ここが南城と言われていた郭です。  さて登城道ですが、目の前にある山にただまっすぐ登っていくことになります。下草の状態も良好で、やはり地元の方による草刈りによるものでしょうね。すぐに主郭跡にでます。ここからは360度の風景を見渡すことが出来、実にすがすがしいです。ここを中心にして西側へ数段の郭が広がっています。ここには堀切もありました。
 そして、南側の”南城”に視線をやると大きな堀切があり、その先に細長い郭が存在しているのがよくわかります。今ではわかりやすすぎる状態なので最近発見された、というお話が信じられませんでしたが・・(^^;
 南側の郭は南北に細く伸びたような形になっており、堀切が二重になっています。(もっと先にもあるのかも・・)また土塁も確認できます。
 この朝倉城は、朝倉氏発祥の地として福井から訪れる方も少なくないらしく、今後も盛り上がっていくようです。付近にも比丘尼城ほかいくつか山城もありますし、八鹿町は城好きな方には楽しいところですね。
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