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茶臼山城跡


登城日:(2005.08.27)
所在地: 神戸市北区長尾町上津台5丁目、茶臼山緑地
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
本丸跡です。 南側から城跡を望む  天正元年(1573)一蓮坊祐之が茶臼山に居城を構え250余名の家臣を有し、近郷を支配していた。豊臣秀吉が三木城攻めの時、仙石権兵衛秀久にこの城を攻めさせた。一蓮坊は、家臣の助命を条件に自決し城を明け渡した。
 現在地元のほとんどの家系には、家臣たちの姓が残っています。一蓮坊祐之の勇気ある行為を後世に伝え、その霊を慰め遺徳を顕彰し、この碑を建立します。

『茶臼山城跡案内板』より

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資料
 

私見
本丸から南側にある南丸を望む  茶臼山城は開発の勢いが凄まじい上津台の5丁目奥にありました。現在は茶臼山緑地として地元の方の努力によって整備されてきたようです。私が訪れた時もすでに先客がおられたのには驚きました。いやぁ来るんですねぇ(笑)。住宅街を抜け、周囲はまだ平らな地形があらわになっている中を比高10メートル前後の独立丘陵が目の前に現われます。南北にピークが二つ並んでおり南側が南丸、北側が本丸だったようです。南丸を降りていく途中に土塁を分断して通路を作ったように見えましたがどうなんでしょう。
 本丸の周囲は綺麗に帯曲輪をさらに綺麗に整地した段が形成されています。いくらなんでもこれは違いますよねぇ・・(^^;しかし本丸頂上部にあがると緩やかな段差があり、南側が一番高くなっています。遠くまで見渡せますが、いずれ周囲がびっしりと住宅地で埋もれる日がやってくるんでしょうか。
 今年の春先にも自然災害の復旧工事をしたようで、ますます公園化されてしまっているかもしれませんが、それでも城跡としてこうした格好でもずっとこの先も残していってもらえるのはやっぱり嬉しいもんだなぁと感じます。ここに仙石秀久が攻撃を仕掛けた歴史が確かにあったんだな、と感じさせてくれるきっかけとして存在しているだけで十分城跡の現世での役割は果たせているんだ、私はそう思います。
 そういった意味では東部に隣接する宅原城は寂しい状態ですね。一応護られていますが、足を踏み込むことができません(;_;)。いつか踏破してみたいな。そう強く願うばかりです。
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