![]() |
![]() |
Check
![]() |
![]() |
福原城跡登城日:(1998.09.05→2013.08.11) 所在地: 佐用郡佐用町福原 |
歴史 | ![]() ![]() 元弘3年(1331)4月28日、淀の久我畷の戦いにおいて鎌倉方の総大将名越尾張守高家をただ一箭に打ち取った佐用兵庫介範家の築城と伝えられ、その後、赤松三十六家衆のうち福原氏がその城を継いだので、福原城とも言われている。
戦国時代末期、東西の勢力拮抗の狭間で、西の上月城、南の高倉城、東の利神城とともに赤松一統の城郭群を形成していたが、天正5年(1577)11月、上月勢の羽柴秀吉との攻防により落城しその役割を終えた。 『福原城跡案内板』より
|
資料 |
【地図を表示する】
|
私見 | ![]() ![]() 福原霊社が建つ最高所は、福原城の本丸西部の土塁上だったようですね。ということで霊社すぐ東側が本丸、そして南側へ視線をやると東、南方面へ段々が広がりを見せていますが、当時もこんな地形だったのでしょうね。そして西側の墓地も城域で、本丸との間が馬落しという堀切があったのです。最初は何もない城跡だと思ってましたが、なかなかいい雰囲気を残しているじゃないですか。黒田官兵衛が攻めたお城ということで、2014年の大河ドラマの際にはここも盛り上げられるのでしょうかねえ。
|