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御殿屋敷跡


登城日:(2006.07.23)
所在地: 佐用郡佐用町平福
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
南石塁と水堀跡  慶長五年(1600)に播磨を受領し姫路城を築城した池田輝政は兄之助の子である由之を利神城に配した。その際に由之が山上に巨大な城を復興すると同時に西山麓に豪華な屋敷を築いた。それが御殿屋敷である。規模は34間x70間とされている。利神城同様に石垣が多く使われている。

『播磨利神城』城郭談話会刊参照

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資料
 

私見
利神城のうわがみ門 北側からみた南石塁と食い違い門  智頭急行「平福」駅から線路に沿って北へ約100メートルほど歩いていくと線路に分断された石塁が見えてきます。よく見るとその手前が少しくぼんだようになっていますがそこは水堀跡のようです。この石塁は南石塁と呼ばれていますが、現在は佐用川まで延びる部分が完全になくなっています。ちょうど車が1台ようやく通れる幅の道路が少し段違いになっているのがわかるでしょうか。「くいちがい門」として居館の大手門があったところで、内枡形虎口を形成していたようです。
 さらに100メートルほど歩いていくとこんどはより大きな石で積まれた「うわがみ門」に到達します。道路が分断してしまっていますが西側に向いた枡形虎口で、ここから利神城へ登城する道が繋がっていました。現在も巨大な竪堀にそってつづら折れとなる登城道がわずかに残っているとか(^^;。冬場に一度チャレンジしてみようと思います。
城主屋敷跡一帯です。

 このうわがみ門を越えて、線路をくぐった右手の田んぼ一帯が城主の屋敷跡だったようです。約150メートルの長さですのでかなり立派なものだったのでしょうね。そしてその先が北石塁です。ここが一番保存状態が良いのですが、残念ながら夏場では草に覆われており確認できません。それでも随所に残る石塁や高まりは十分にかつての姿を想像させてくれました。今度はうわがみ門から入って竹ノ久保へと続く登城道を登ってみたいと思います。
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