
智頭急行「平福」駅から線路に沿って北へ約100メートルほど歩いていくと線路に分断された石塁が見えてきます。よく見るとその手前が少しくぼんだようになっていますがそこは水堀跡のようです。この石塁は南石塁と呼ばれていますが、現在は佐用川まで延びる部分が完全になくなっています。ちょうど車が1台ようやく通れる幅の道路が少し段違いになっているのがわかるでしょうか。「くいちがい門」として居館の大手門があったところで、内枡形虎口を形成していたようです。
さらに100メートルほど歩いていくとこんどはより大きな石で積まれた「うわがみ門」に到達します。道路が分断してしまっていますが西側に向いた枡形虎口で、ここから
利神城へ登城する道が繋がっていました。現在も巨大な竪堀にそってつづら折れとなる登城道がわずかに残っているとか(^^;。冬場に一度チャレンジしてみようと思います。
このうわがみ門を越えて、線路をくぐった右手の田んぼ一帯が城主の屋敷跡だったようです。約150メートルの長さですのでかなり立派なものだったのでしょうね。そしてその先が北石塁です。ここが一番保存状態が良いのですが、残念ながら夏場では草に覆われており確認できません。それでも随所に残る石塁や高まりは十分にかつての姿を想像させてくれました。今度はうわがみ門から入って竹ノ久保へと続く登城道を登ってみたいと思います。