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萩原城跡
登城日:(1999.02.14→2007.3.11)
所在地: 神戸市北区淡河町萩原
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
萩原城本丸跡の南側にある堀跡 萩原城本丸跡の南側土塁 萩原城は敵対する淡河氏の依る淡河城とは目と鼻ほどの距離にあり、始終小規模の戦を繰り広げていた。本格的中世山城として有名な萩原城は天正6年(1578)の三木城落城まで有馬氏が治めていたが、有馬則頼が淡河城へ移ってからは明確でない。
 1993年度から数回に及ぶ発掘調査が行われており、その発掘調査報告書に縄張り図を見ることができる。
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資料  

私見
萩原城本丸跡にある案内板 萩原城本丸跡には土塁がめぐっています  萩原城はずっと気になっていた城跡の一つでした。このサイトで知り合った同志、不動石氏が朽ちかけた木製の標柱をみつけたという情報を聞いてからそれを元に城域へと考えていましたが、なんと8年越しにその標柱に出会えました。それも城跡に行ってからの帰り道でしたが(笑)。  城跡へは三木三田線の「萩原」のバス停があり、神社へと南に曲がるところじゃなく、そこから東へ行った1つめの細い路地を南へと下っていきます。淡河連絡所の信号があるところの手前ですから見落とさないように。そして、淡河川を渡って坂道をあがっていきます。道路は左へカーブしながら傾斜をのぼっていきますが、その最高地点で適当に車を停めました。左手にある藪が本丸跡であり、トラックや資材の残りが捨て置かれたようになっているのが南丸跡でした。
 どうやら南丸跡は道路がついてかなり破壊されてしまっているようですね。本丸西側には堀跡らしき細長く弧をえがいた形状の田圃があり、その畦道を歩いてみることにしました。ガードレールを跨いで、畦道へ。するとすぐに南丸と本丸との間にある深い堀跡がはっきりと残っています。「ここかぁ・・!」すぐに本丸側を見上げると土塁が切れているのが確認できます。逸る気持ちを抑えるのに苦労しながら一気に急斜面をよじ登りました。
ここにあったのか!! 萩原城二の丸跡  すると・・・・、見事に土塁が本丸の周囲を取巻いています。高さ約2〜3メートルほどでしょうか。南と北にそれぞれ1箇所ずつ土塁の切れ目がありました。北側のそれは二の丸へと続く通路でしょうね。本丸の中心部には供養碑のような石碑があり、割れてしまって文字が読めない案内板がありました。一応それなりにそろえてみて記念撮影しておきました。そういえば岡山の鶴首城でもこんなことしたなぁ(笑)。
 そのまま北へと降り、二の丸の風景を確認します。本丸の3倍ほどの大きさを誇る二の丸は現在、民家と畑地が大部分を占めており、撮影しづらい状況です。また、西側の丘陵地は家臣屋敷跡のようです。こちらにも民家が建っています。
 長年、中途半端な状態でおいていたことがひっかかっていましたがようやく解消することができました。こんなに良好に遺構が残っているならもっと早く来るんだったと激しく後悔しました。
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