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花熊城跡 登城日:(2002.03.03) 所在地: 神戸市中央区花隈町 |
歴史 |
花熊城は織田信長の命により永禄十年(1567)とも、あるいは天正二年(1574)に築城されたとも言われている。築城したのは有岡城主であった荒木村重であり、当時信長と敵対していた石山本願寺、毛利氏との連携を分断する目的で建てられたのだと言われている。
築城後は荒木志摩守が居城したが、のちに村重が石山本願寺勢に物資を供給しているという疑いがかけられることになった。村重は弁明の余地なく処刑されることを悟り、信長に叛旗を翻して有岡城にて篭城することとなった。翌天正七年(1579)、有岡城を脱出した村重は尼崎城に入り、なおも抵抗を続けた。その後村重は西国に逃亡したが、その居城であった城はすべて落とされていくことになる。この花熊城も同様であり、信長の命を受けた池田勝三郎恒興がその指揮をとり、攻撃を開始した。 天正八年(1580)二月から攻防の火蓋が切られたのだったが、同年七月に落城した。
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資料 |
私見 |
JR神戸線「元町」駅をおりて、神戸駅方面に線路北側沿いに数分歩くと公園化された花隈城跡があります。地下は駐車場、小高い山のような公園は静かな憩いの場としてたたずんでいました。いかにもここは城跡だったんだとでもいわんばかりの石垣をどう評価するのかは意見がわかれるところでしょうね。私はこういう石垣でもキライじゃないです。都市部のなかにあり、昭和につくられた城跡であっても、その存在がその昔ここで池田恒興や荒木村重が活躍していたんだという想像を逞しくしてくれる格好の小道具としての花熊城跡。 また、ここより少し西にいったところにある福徳寺は、天守跡とされており、天守碑と供養塔がつくられています。
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