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母坪城跡


登城日:(2005.05.05)
所在地: 丹波市柏原町母坪、氷上町稲継
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
段差が続く郭群 大きな堀切が残っていました  母坪城は、後屋城の赤井一族に属していたと言われている。天文二年(1533)に、細川晴元側から寝返った八上城の波多野晴通の攻撃を受けたという記録がある。このときの城主は赤沢景盛であった。
 やがて、一時播磨へ難を逃れていた赤井時家が復活すると共に、母坪城は被官の稲継壱岐守が拠った。しかしそれも天正七年(1579)八月十五日、明智光秀の攻撃により落城、壱岐守は討死した。

『母坪城跡案内板』より

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資料
 

私見
北側郭には土塁が残るところもあります  母坪城(稲継城とも)は国道175号線沿いにあり氷上町と柏原町との境にあります。高見城から北へ延びた稜線上にあるような位置にあり、西には後屋城があります。  登城道がわからず適当に東側斜面を直登しましたが(笑)、あとから考えると北側丘陵突端から上がれるようになっていた気がします。ちょうど道路に城跡を示す看板が立っているところです。
 さて、城域ですが比高もさほどたいしたことないということで適当に上りましたがあがってみてびっくりしました。南北にいくつもの郭が連郭式に連なっており、大きな堀切が掘られています。(南側はどこまでが城域なのか見極められなかったので微妙ですが・・)。
 ここは草がなくなった冬場にじっくり歩き回ればわかりやすそうな城だと思います。郭と郭の段差が大きく2〜3メートルほどのものもあります。東西の斜面はかなり急ですし、当時はかなり堅牢なものだったんだろうと推測できますね。
 一応南から北まで踏破しましたがどうも納得がいきません(^^;)ので再度行こうと思います。
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