
池谷城へは櫨谷小学校の東側の路地を南へ入ると目の前に竹林がありますのですぐわかると思います。標高105メートル、比高32メートルとあったのですが、北側からの落差はさほど感じられませんので間違いかと思うくらいです。
さて、この城へはいくつも侵入口はあるんですが、北東、北、西、南西などに登城道がありました。そのうち虎口とされているのは北と西の2箇所です。まずは北の虎口から竹薮に入ります。すぐに驚かされるのは起伏が激しい地形で、どこまでが遺構なのかが一見しただけではわかりませんでした。まっすぐ進むと腰曲輪が南北に伸びており、そのなかに主郭がありました。主郭のまわりはほとんど腰郭がめぐらせてあり、南側だけががけとなっていて、開けています。が、その下には手書き竪堀が数条見られます。予想以上の状態のすばらしさに思わず一人竪堀に滑り込んでしまいました(笑)。
この遺構を文章だけで表現するのはちょっと難しいので是非とも行って見ていただきたいですね。端谷城の前に衣笠氏が本城としていただけあってなかなか立派なもんです。付近にはまだまだ支城もありますし、しばらくこのあたりの支城群を踏破してみたくなってきました。