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衣笠城跡
登城日:(2003.01.12)
所在地: 三木市口吉川町西中字城ノ下
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
西側から見た衣笠城跡  衣笠城は衣笠豊後守経興が最初の城主だったが、嘉吉元年(1441)に山名氏に攻められ経興は討ち死に、一族は端谷城に逃れて城は落城した。
 その後知員が赤松氏と共に山名氏を播磨から攻め立てることに成功し、衣笠城に復帰することができた。やがて、親信の代に三木合戦が起こり、別所方の支城として秀吉軍と戦ったが、激しい攻防の末夜襲を受け落城した。 南側から見る、土塁と掘跡がある。  「古河系図」によれば、衣笠親信は三木城に籠城して落命したが、その子信実は古河城に客臣として生き延びたとしている。

『別所氏と三木合戦』三木市教育会刊参照

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資料
 

私見
西側にある虎口跡  衣笠城は美嚢川が大きく南に折れ曲がった所に接した高台に作られていました。北は美嚢川が、東西は急な傾斜の崖が城を防御している非常に堅牢な地形となっている。また、南側は大きな掘が掘られていたようですが現在では道路が作られてしまっています。案内板や城址碑は一切ありませんが、地形や郭跡などの遺構がよくわかっている今のうちになんとか保護をしていただきたいですね。
 現在は城地の中に3件ほど民家がたっており、写真を撮るのも気をつかいました(笑)。
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