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宮脇城跡 登城日:(2004.03.27) 所在地: 美嚢郡吉川町稲田字屋鋪之内 |
歴史 |
宮脇城は、毘沙門城を本城とする藤田河内守の居城であるといわれている。 藤田幸綱の代には永禄元年(1558)「京都北白川の戦い」に、三好方として参加している。また、天正六年(1578)の「三木合戦」の際には子右近と共に別所方として参戦している。 城自体は本城である毘沙門城同様に、羽柴軍により落城してしまった。 『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照
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資料 |
私見 |
宮脇城跡は、現在は田圃となっています。以前は郭の形がそのまま田圃の形をなしており、城域内には小さな祠が2箇所ほどあったようですが現在はほ場整理されよくわからないです。御旅所に集められているのがそれなんでしょうかねぇ。 北側は数メートルの高さの崖と川が流れ、そこから数段の段差のたんぼとなっているだけですが、以前は街道をおさえる要所だったのかもしれませんね。本城の毘沙門城が近くにあるのでここはたいして規模が大きくなかったんでしょうね。
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