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那胡山構跡
登城日:(2003.11.03)
所在地: 姫路市名古山町、名古山霊苑
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
霊苑内にひっそりと建つ那胡七十郎の碑  那胡七十郎頼三は、飾西郡置塩之城主赤松公の末家にて、永享より永禄、元亀、天正年間に亘り先祖より代々名古山の城主たり。天正年間に赤松家の衰退と共に浪人となり、慶長年間飾西郡新在家村に引越後姓を池内と改む。頼三より十二代目池内宗太郎の二男池内賢次(尾上家の婿養子となり作兵衛と称す)の三男尾上壽作は頼三が吾が祖先にして、前市長石見元秀氏の建設されたる名古山霊苑の城主でありし事を知り、吾々末裔の手によりて記念碑を建立すべく、十五代当主池内雄一及び一族と相謀り、姫路市遺跡保存及び、祖先顕彰の意味を含め茲に頼三の記念碑を建立す。

『那胡山構跡案内板』より

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資料
 

私見
霊苑内にひっそりと建つ那胡七十郎の碑  永享十二年(1440)の赤松満祐の下知を拒んで追放となった14名の豪族のなかに那胡山構主那胡七十郎頼三もいました。近隣の嵐山城の渋谷二郎太夫長秀、男山構主の山野新藤次成明などと同じですね。
 ところで、実際に構があったとされていますのはこの碑が立つ地点より南東に300メートルほどいったところのようです。ちょうど薬師山橋を越えた市営住宅の辺りでしょうかね。完全に消滅してますね。
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