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嵐山城跡
登城日:(2003.10.13)
所在地: 姫路市景福寺前
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
墓地で整地されているだけじゃなく薮も・・  嵐山城がいつ築城されたのかは不明である。城主である渋谷二郎太夫長秀は永享十二年(1440)赤松満祐の動員令を拒んで閉戸追放になった。

『日本の中世城館調査報告集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
景福寺には藩主関連の墓があります。  姫路城西側に位置する嵐山城は近所の男山構とよく似ています。昔は赤松満祐の下知に従わずに追放となったこと、そして今は世界遺産姫路城十景の一つになっている(厳密には景福山ですが)ことです。なんで有力者の赤松氏に従わなかったのか不勉強なのでよくわかりません。自己保身のために面従腹背であるのは小豪族の常だと思ってたんですがねぇ。
 さて、墓地となっている城跡はすっかり遺構が破壊されてしまっているそうですね。ここには松平明矩と姫路藩士たちの墓石があります。また景福寺は姫路藩酒井家の菩提寺であり、境内には酒井忠学ただのりの室となった十一代将軍家斉の娘、喜代姫とその娘である喜曽姫(藩主酒井忠宝ただとみの妃)、藩主忠績ただしげの室婉姫の三人のお墓があります。お墓めぐりという別の楽しみもあるということで(って苦しい・・)。
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