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中野城跡


登城日:(2005.06.18)
所在地: 加西市中野町村上、上山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
城跡らしさは感じられませんが・・  中野城の詳細は不明であるが、金釣瓶城城主、中村小四郎助直の家臣、小谷与次の居館であったとする説がある。
 嘉吉の乱(1441)により、主家赤松家を失った遺臣らは吉野に潜入した。小谷与次は僧に化け、言葉巧みに南朝方に取り入り、「自分は善防山城城主の赤松則繁の子である。南朝方の手を借りて幕府を討ちたい」としてうまく召し抱えられた。
 やがて与次の手引きにより、赤松一党は吉野御所を襲い、皇子の首と勾玉をうばって逃げ帰った。与次の郷里中村(中野)で御首を葬ったのが清慶寺の南帝塚なのである。

『加西のふるさと散歩』加西市教育委員会刊参照

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資料
 

私見
城跡らしさは感じられませんが・・  名前だけは知っていたのですがなかなかその場所を特定することができなかった中野城ですが、実に重要な歴史上のイベントに深く関与していたのですねぇ。(といってもあくまでも説の一つなんでしょうけど)
 場所は「加西中野」の信号を南下し、左手に清慶寺があると西側の細い路地をはいっていきます。高台となり、広大な平地となっているところ、かつては学校であった場所が中野城跡とされているところです。
 現在は城跡であった面影はまったくありません。私にはただここに到達できてよかった、というそれだけでした(笑)。
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