二位谷奥ノ付城跡 登城日:(2004.10.02) 所在地: 三木市福井 |
歴史 |
二位谷奥ノ付城は周囲の付城跡同様、天正年間の羽柴秀吉による三木城攻めの際に羽柴方が築城したものの一つである。
この城を陣取ったのは浅野長政、一柳直末である。(『播磨鑑』には「二位谷奥 浅野彌兵衛 同所 一柳小兵衛」とある)直末はこの合戦で功績をあげたことにより、三木市内に高木藩陣屋を構えることとなる。
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資料 |
私見 |
二位谷奥ノ付城跡に行くには三木市庁舎から南へ伸びた真新しい道路を約1キロ、これまた真新しい住宅地内にありました。平成九年にこの住宅地造営に先駆けて発掘調査が実施された際には多くの遺構が発見されましたが、今は残念ながらすべて埋め戻されています。正確な位置がわからかったのですが、住宅地の北西隅の微高地を比定地としています。 発掘調査は、約2600平方メートルに及ぶ広範囲 で実施されそれにより付城の全貌が明らかとなったようです。驚くべきはその状態が周囲とは明らかに異なり非常に手がこんでいることです。 30メートル四方の地に主郭、その西側と南側とにそれぞれ郭があり、掘立柱建物が3棟あったようです。南部に位置する虎口部分には城門と思われる礎石が2個、そして西側、南側それぞれの郭で櫓台があり、低い土塁が周りを囲んでいます。北側、つまり三木城側には堀切もあったようです。 隣接する君ヶ峰城の羽柴小一郎と共に三木城南方は絶対の構えをもっていたんでしょうね。また、出土物としては中国磁器(白磁)・瀬戸美濃焼小皿・鉄砲玉・古銭などが発見されています。
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