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高木陣屋跡 登城日:(2003.08.30→2011.09.19) 所在地: 三木市高木、豊城根神社付近 |
歴史 |
高木陣屋は一柳氏の陣屋として、初代一柳直増から続いた高木藩の陣屋である。 天正の三木合戦の際に浅野長政とともに二位谷の奥に付城を構えた一柳直末は、その後の数々の合戦でも戦功を挙げ、その賞として岐阜大垣城主となった。 が、天正十八年(1590)の山中城の合戦で直末が討死した為、弟の直盛が継ぐことになった。その直盛には三人の男子があり、長子の直重が伊予西条三万石の藩主、二男の直家が播磨小野二万八千六百石の藩主、そして三男の直頼が伊予小松一万石の藩主となり、ここに三つの一柳藩が成立したのである。 後に西条藩の直興が幕府に対し不興を買うこととなり、領地没収となってしまう。そして貞享三年(1686)に加賀で病死してしまったことで、西条藩は天領となり取り潰しとなった。やがて本家西条藩の建て直しが幕府に認められるが、すでに天領となった西条の地は復興することはできず、かわりに播磨三木の地、五千二百五十石が与えられたことになった。初代直増から明治三年の版籍奉還の時まで当地は一柳氏の支配する地として続いていった。 『三木の人物史』三木市観光協会刊参照
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資料 |
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私見 |
高木の集落内には陣屋があったとされてましたが、その場所を特定することができず諦めていました。が、なんとかわかりました。陣屋には昔その庭に屋敷神が祀られてあり、その屋敷神が現在、豊城根神社になっているということでした。 でもその神社が全然わからなくって・・ほんと困りました。不動石さん情報感謝です。でも、ただの小さな神社でしたが。で、まわりはすっかり住宅地でした。 一柳氏のお墓があると耳にしましたので探しにいってみました。大切にされていると思いましたのでそう迷うこともないだろうと思ってましたがビンゴでした。そこだけがなんだか空気が違うかのように墓石が3つ並んでいます。中央の一番背が高いものには一柳氏の「二重釘貫」の紋がついています。側面を見ると十六代一柳直明氏のお墓だとわかります。向って左のお墓には一柳播磨守越智直方室とあります。右のお墓は確認漏れですが、同じく女性のものでした。三木市の外れに確かに一柳氏がいたということを再確認させてもらいました。静かに手を合わせて、あとにしました。
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