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篠ノ丸城跡 登城日:(2000.04.12) 所在地: 宍粟郡山崎町、最上山公園 |
歴史 |
篠ノ丸城は南北朝期のはじめころに釜内小次郎範春により築城されたとされています。その後嘉吉の乱により落城しましたが、赤松政則が赤松家を復興させた時に篠ノ丸城も宇野氏を城主に迎え、回復をとげたようでした。
しかし、天文七年(1571)に出雲の尼子氏の侵略をうけ落城、2年間の尼子氏の支配を受けたあと、再び宇野氏が返り咲きました。 天正八年(1580)の羽柴秀吉による播磨平定の際に黒田勘兵衛が入城し、同十五年には木下勝俊が龍野から入封してきました。その時に篠ノ丸城は廃城となり、平城である山崎城が築かれました。
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資料 |
私見 |
最上山公園を車でいけるところまでいって路上駐車し、篠ノ丸城跡の石碑のところから歩いて登城しました。本丸までは約十五分くらいだったでしょうか。途中一ヶ所だけ人口的な石積みがされているのを確認できましたがこの篠ノ丸城は全体に石垣は確認できませんでした。そのかわり、本丸にたどり着くと広い虎口がありところどころに土塁が残されています。どうも黒田氏より以前の宇野氏による縄張りがそのまま残されているようです。 結構しんどい目をして登ってきたつもりでしたが、本丸跡地にはジャングルジム等の遊具がおいてあり、子供の遊び場所が設置されていました。「こんなところにまで登ってきてから遊ぶんかい」とつっこみをいれたくなる造りになっています。
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