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石峯寺城跡
登城日:(2004.04.25)
所在地: 神戸市北区淡河町神影字聖岡
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
石峯寺裏の山林  石峯寺城がいつごろから築城されたのかは不明だが、南北朝時代の頃、南朝側に属していたために北朝方の赤松氏から何度も激しい攻撃を受けた。

◆石峯寺
 この寺は白雉二年(651)法道仙人の開基と伝えられています。孝徳天皇の勅願寺として栄え、中世には一里四方を寺領にもち、多数の僧兵や学侶を養っていました。
 大日如来が祀られている本堂東の三重の塔は室町時代の作で、嵯峨天皇の勅願によるものといわれ、この時代につくられた三重の塔の中では最も大きいものの一つです。中堂の薬師堂は、聖武天皇の勅願で行基が開眼した薬師佛、十二神将、日光月光菩薩を祭祀し、追儺行事が行われました。
 この二つの建造物は、大正四年に国の重要文化財に指定されています。

『石峯寺案内板』、他より

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資料
 

私見
巨大な屏風岩  石峯寺城跡は、石峯寺の背後の山にありました。いかにも城跡と見えてしまう地形にとまどってしまうのですが、城域は最も目立つ、高さ4〜5メートルの屏風岩より北側の立ち入り禁止となっている山ではないでしょうか。
 自然のものとも思える堀跡や土塁はあるのですが、ちょっと自信がありません。しかしここが自然の要害をうまく利用した城跡であったんだろうということはよくわかります。
 そういえば、石峯寺の案内文には触れられてませんでしたが、ここには徳川将軍、明石城の小笠原公、淡河城の有馬公が尊霊碑として祀られています。
 この日は私のほかにも2名ほどここを訪れる方がいらっしゃいました。私同様にマイナーな城跡ファンなのでしょうか。(^^;
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