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高畑城跡登城日:(2005.06.05) 所在地: 神戸市西区伊川谷町前開 |
歴史 |
標高234メートルの高畑山頂には、文明十八年(1486)に伊川荘の代官職に任命された明石氏が構築した高畑城があった。『蔭凉軒日録(おんりょうけん)』によると、その初代城主は明石法眼周防守宗安であるといわれている。それから約百年間、この城の歴史は史料に見られず謎であるが、天正年中(1573〜91)に明石与四郎則真が城主として登場する。その後、天正六〜七年の三木合戦で則真は羽柴秀吉側に属し、端谷城攻略のための対城として高畑城を守備したとあり、三木落城後、則真は豊岡城へ移封され、これを機に高畑城は廃されたと思われる。 城跡の両側の谷は深く急傾斜であり、特に南側は絶壁となっている。城の頂上には曲輪(囲い)が東西に二つ配置され、それを取り巻くように腰曲輪がコの字形にめぐらされ、尾根伝いには、連郭式に曲輪が配されている。城の両側は深い堀切で区切られ、城と居館を結ぶ尾根筋には物見台・竪堀・堀切が随所に設けられている。 『高畑城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
久々に端谷城関連の砦を攻めてみようとふらっと高畑城にやってきました。場所は太山寺から北へ約2キロのところにある高畑山山頂です。登城道は「太陽と緑の道」をひたすら歩くことになります。今回はバイクで行ったのでかなり寄せることができるかと思いましたが残念ながら徒歩で行かざるを得ませんでした。この「太陽と緑の道」ですが、城跡まではほとんど太陽を拝めないどころか、深い切り通し状の谷底を歩かされるなど、非常に寂しいルートになっています。それはそれで面白いのですが、名前とのギャップに驚きです。(^^; 城跡は、太陽と緑の道が迂回しているところにありますのでなんとなくわかると思います。私はそのまま直進していったので城の南側の堀切を通りました。遺構としては南北に堀切があり、西側にも横堀が見られました。城跡はかなりの藪ですので今の季節ではつらいのですが、一応削平地となり、腰曲輪というのもわかります。 冬場に来れば結構面白いかもしれません。急傾斜なのでくれぐれも十分ご注意を。
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