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飛の山城跡
登城日:(2004.05.23)
所在地: 篠山市西岡屋
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
新たんば荘などでかつての姿は想像の域を出ません ◆飛の山三四郎稲荷神社
 篠山城主青山忠裕公が幕府の老中であった文政年間のある年、江戸両国の回向院広場での上覧大相撲春場所に、篠山から参りましたと、飛の山三四郎ら八名の力士が現れていつにもなく勝ち続けました。負け嫌いの忠裕公は大変喜んで、褒美をやろうとされましたがどこにも見当りません。調べてみると皆領内の稲荷神社の名前でした。
 殿様は、幟や絵馬などを奉納して感謝したといいます。勝利守護と農工商繁盛の神として崇敬されています。

 飛の山城(岡谷城とも)は、永禄年間(1560年頃)に波多野氏の重臣渋谷氏秀により築城された。八上城の支城として存在していたが、明智光秀の猛攻の前に天正六年(1578)初めに落城した。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
飛の山三四郎稲荷神社  遠くからでも見える独立した山上に、飛の山城跡はありました。山麓には丹波総合スポーツセンター、諏訪神社、新たんば荘など様々な施設がありかなり破壊が進んでいるという印象を受けました。
 眼下にテニスコートを見下ろす道路脇に駐車をすると、新たんば荘へと歩みを進めていきます。ゲート脇から踏み込めば主郭跡のある貯水タンクがあるのです。ですが・・今日はその登城道を新たんば荘の草刈のおじさんがお仕事中で、なんだか悪いことするような気になって山頂部までいけませんでした。(^^;
 まぁ貯水タンクがある山に遺構があったケースは少ないですし(汗)。
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