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鶴居城跡登城日:(2013.08.11) 所在地: 神崎郡市川町神崎 |
歴史 | ![]() ![]() 城は南北朝後半、赤松則村(円心)の孫、永良三郎則綱がここに城を築き居城としたのが始まりで、その子・孫と受け継ぎ播磨の北の要地とされていました。 赤松氏は嘉吉の乱(1441)のあと但馬の山名持豊の兵4500騎に生野峠から攻め込まれ、大山口・田原の戦いに敗れ、長久二年(1488)赤松政則が播磨をとりかえすまでの45年の間、山名氏の支配のもとにおかれました。 その後、赤松政則は応仁の乱中に失地を回復し守護となったので稲荷山城も復興し、広瀬近江守雅親が城主となり、谷城主も兼ねていましたが、永禄三年(1560)討死したと言われています。 同じく谷城は、永禄のころ(1558〜1570)戦火により消失廃城とあり、両城とも同じ運命を辿ったと考えられます。 『鶴居城跡案内板』より
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資料 |
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私見 | ![]() ![]() 登城口には動物が外に出ないようフェンスが設置してあり、案内板も置かれていますね。よく見れば「里山ふれあい森づくり」と書かれていますよ。平成21年とありますから、加西市の山下城の前年度の取り組みなんですね。毎年地元の方と行政がうまく里山の整備、保存を推進されていくこの活動は今後も継続して増やしていっていただきたいものです。ありがたく感謝しつつ、ゲートをくぐりいざ登城開始です。 ![]() ![]() 斜面を登りきると鞍部となります。眼下に広がる景色を見ると、こんなに登ってきたのかとしみじみ・・。でもまだ半分くらいの行程です。遊歩道を進んでいくと、右手上に郭が造られているのがわかりますが、直登する気にはなれず、そのまま道なりに登っていきます。そしてようやく頂上に出ました。暑い・・。少し戻ると南側に土塁を伴う郭がありました。シンプルな構造ですが、長細い郭ですね。そして、主郭へと向かいます。堀切を越えていくとそこから郭が段々と細かく連なっています。途中に石積みが見られますよ。このあたりは下草もなく、問題なく散策できて素晴らしいです。 主郭の下に腰郭状の平場があり、主郭を回り込むようにして進むと石積みが見られます。残念ながら大部分が草に覆われてしまっていますが、長さはかなりのもののように見えます。ここは冬場じゃないと楽しめ無さそうです。 ![]() ![]()
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