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牛居構居跡 登城日:(2004.02.01) 所在地: 加西市牛居町 |
歴史 |
牛居町には、赤松一族の加東郡金釣瓶城主中村六郎友之の息子の城があったと伝えられている。幼名を松千代丸といい、牛居に居城を構えてからは名を中村牛居之助吉早と替え、天正元年(1573)足利将軍義昭と織田信長が争った戦で、同族の多可郡中野間伊勢輪山城主有田伊賀の守とともに大きな戦功をたてたといわれている。 しかし、信長が中国平定のため、羽柴秀吉を総大将に播磨に大軍を進め、三木城主別所氏を攻めたとき、赤松一族とともに牛居之助も城に籠った。一年十ヶ月の籠城のすえ、三木城がおちたとき、牛居之助は城を抜け出し、多可郡中野間に身を隠したようである。慶長元年九月十九日、七十五歳で世を去るまで長寿をまっとうした。 『加西のふるさと散歩』加西市教育委員会刊参照
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資料 |
私見 |
牛居構居がある牛居町は、播磨風土記に、「昔、大汝命、碓(うす)を造りて稲つきしところは、碓居谷となずけ・・」とある碓居が転じて地名になったといわれています。構居跡には大歳神社が建ち、そこには大きな石碑がつくられています。神社の段差のある地形とその背後の土塁状のものも遺構かと見えてしまうのですが実は、大歳神社の前方の「殿垣内(とのがち)」と呼ばれる田圃や畑が構居跡だったようです。
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