大宝城跡 登城日:(2003.05.05) 所在地: 下妻市大宝町字本町 |
歴史 |
大宝城は貞永元年(1232)に小山一族の下妻修理権亮長政が築城したのがはじまりとされている。城の西、北部は断崖で、その下には大宝沼が広がる要害であった。 南北朝の時代には下妻政泰が城主であったが、南朝方の北畠親房に味方するようになってからは、足利方の高師冬に攻撃されるようになり、やがて落城となる。特に暦応四年(1341)に北畠親房が小田城から関城に移ると、大宝城と関城との連絡をたたんと激しい攻撃が繰り広げられることとなった。 やがて康永二年に大宝城は落城し、城主下妻政泰も城と運命をともにすることとなった。 『日本城郭体系4』新人物往来社刊参照
|
資料 |
私見 |
大宝城は関城のある台地からそのまま細い田圃の脇道を通っていますとあちこちに城跡を示す標柱が建てられています。国の指定史跡だからむやみに破壊しないように、とか・・ たまにきょろきょろしながらまわりの地形を見ていましたがどこからどこまでが城跡なんでしょう(笑)。田園地帯から葡萄畑・・そして神社。かなりの範囲に国指定史跡の標柱が建てられてます。調査はされてるんだと思いますが私のような他県からの人間には非常にわかりにくいです(^^;。普通に稲つくったり葡萄つくったりされてるような気がするんですけど・・そこは城跡じゃぁないのかなぁ・・とか・(^^; 一応大宝八幡宮あたりが城跡なのかなぁと思えましたが、周辺一帯に標柱がたてられてたのには驚きでした。 当サイトをご覧くださった方からの情報によれば、大宝八幡宮が城跡で土塁も残っているようです。ありがとうございました。
|