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関城跡
登城日:(2003.05.05)
所在地: 真壁郡関城町大字関館
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 結城直朝の墓がある関城跡  関城はかつて南北朝対立争乱の時代小田城などとともに常陸国内宮方、南朝方の拠点として知られる史跡です。
 今、関館一帯8.5ヘクタールの城主には当時の土塁の一部が残り、関城と運命を共にして戦死した城主関宗祐、宗政父子の墓や北朝方の武将で関城攻撃で戦死した結城直朝の墓があります。
 ここは東西南の三方が大宝沼にかこまれ、北に壕を掘り前面大宝沼のかなたに友軍の城、下妻城を望む要害の処であり、東の空に筑波の紫峰を望み、かつて南北両軍が血を流した古戦場とはどうしても思われないような景勝の地でもあります。
 この城には興国二年(1341)小田城から移った北畠親房が、同四年城の陥落前まで留まって、小田城で書いた日本史の本「神皇正統記」に筆を加えて完成したことでも有名です。

『関城跡案内板』より

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資料  

私見 多くの土塁が残っています。  関城は結城家二代朝広の四男三郎朝泰が関荘を相続して、この地に築城したのがはじまりだと言われています。三方を大宝沼に囲まれた半島状の地の上に囲まれた関城は北側には土塁が築かれ、かなりの要害ぶりだったのだようですね。現在は大宝沼は田圃となっているのですが、半島状の城域部分には土塁があちこちで現存している姿を確認することができました。
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