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下館城跡
登城日:(2003.05.05)
所在地: 下館市本城町甲
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 下館城城址碑  下館の地は今から一千余年前の天慶三年(940)平将門が騒乱を起こした時、之を平定するため藤原秀郷(俵藤太)が上舘、中舘、下館の三館を築いた所であるといわれている。中舘(伊佐城)はここから1,9キロメートル北方にあり、南北朝の争乱の際、伊達行朝(当地出身、仙台伊達家の祖)が南朝のために籠城奮戦した史実で有名である。上舘(久下田城)は同じく6.5キロメートル北方にあり、戦国時代の勇将、水谷蟠龍斎政村の居城として知られている。
 当下館城は、室町時代の中頃文明十年(1478)水谷勝氏が始めて築城したものである。水谷氏は以後勝国、勝之、勝吉、治持と続いて次第に勢力を拡張し、次の六代政村の頃は五万石を領するに至ったが、政村は下館を弟勝俊に譲って、自分は前記久下田城に移った。
 次の勝隆の代になって備中に移封となり、水谷家頼房の長男頼重(光圀の兄)が新たに五万石の城主として下館を賜ったが、三年後には讃岐高松十二万石を賜って栄転、下館を去った。以後、増山正弥、黒田直邦とたびたび城主が変ったが、享保十七年(1732)石川総茂が二万石の城主として着任してからは、代々石川氏の領分として九代百三十七年間此の地を支配し、明治になって廃城となった。

『下館城跡案内板』より

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資料  

私見 下館城跡である八幡神社  下館城は現在は八幡神社になっているだけとなっています。裏手に回り込めばその神社が急な崖の上にあったんだということだけは驚きましたが、それ以上にこんなに小さな扱いを受けている城跡に驚きました(笑)。
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