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勝賀城跡登城日:(2008.01.13) 所在地: 高松市中山町、勝賀山 |
歴史 |
勝賀山(標高364メートル)山頂には鎌倉時代から戦国時代の約360年間、笠居郷(鬼無・香西・下笠居)を本拠に活躍した香西氏歴代の城跡があります。広い山頂には頑丈な土塁によって守られた本丸(東西40メートル、南北60メートル)を中心に、二の丸、三の丸を形造り、難攻不落の名城をうかがわせてくれます。 現在も、巧妙な縄張(設計)とともに普請(土木工事)の様子がよくわかる貴重な中世の山城として、高松市の史跡に指定されました。 中世の讃岐国の豪族香西氏は阿野・香川郡など中讃を本拠として十八代三百六十余年にわたり栄え、その間、山麓の佐料に居館を構え天険の地、勝賀城を築き要害城としていた。 この城跡は、山頂のほぼ平坦地に土塁を主体とする喰い違い虎口、郭、堀切りなどの様子をよく残し、その保存状態も良好であり、豪族香西氏の城郭遺構の中でも代表的なものであるとともに中世山城の研究にとっても貴重な史跡である。 『勝賀城案内板』高松市教育委員会より
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資料 |
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私見 |
遠くからでも確認できていた勝賀山は頂上が削平された様子がよくわかりますね。登城ルートは、佐料城の前を通過し、そのまま山道をあがっていきます。軽自動車でしたのでとことんいけるところまでいくと2台ほどが駐車できるスペースがありました。車で来れるここでもすでに眺望が広がっていますので、この勝賀山は周囲を睥睨するには格好のロケーションにあるようですね。 車を降り、みかん畑の脇にある階段をあがっていくと、突然すぎる急斜面に出くわします。少しでも地面がゆるいと簡単にすべり落ちそうな傾斜ですよ。登城の際は十分慎重に登っていってください。 20分ほど登ったらようやく鞍部に出ます。もう少しで頂上ですよ。眼下に広がる景色に元気をもらいます。その少し前からでしょうか、私よりも先に上って行っている人がいるようなんです。必要以上にザッザッと両脇の草をかき分けるようにしているようで、その音だけが不思議に響いてきます。ちょっと怖かったのですが、登城速度をあげてその音の謎を確認してみました。すると目の前に現れたのは竹箒をもったおじさんでした。なんと登城道を掃除しながら整備しているんだとか!!すさまじい熱意とその心配りに感激してしまいました。 「どっからきたんや。」「そんな遠くから来なくても姫路城があるやろうが。」照れ隠しなのか、試すような言葉のおじさんに「いえ、この勝賀城のほうがいいですよ!すばらしいです、ほんと。」この時の言葉は嘘じゃなかったです。 頂上に広がる土塁が囲む郭や喰い違いをもつ虎口がそのまんま残っているんですから嬉しさのあまり思わず駆け足であちこち動き回ってましたよ。しかしおじさんは意に介することなく掃除を続けていました。こうした方がいらっしゃることで城跡は現在にも残されているんだなと実感しました。また、本丸には勝賀城の縄張り図が描かれたパンフレットも置かれていますので、城跡を確認するには最適ですよ。 天正十三年(1585)に秀吉による四国攻めによって香西氏が没落し、勝賀城や佐料城など周辺の諸城の歴史は終わを迎えましたが、その城跡は今後も残っていってもらいたいですね。
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