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丸亀城 登城日:(1999.07.24→2007.06.10) 所在地: 丸亀市一番町 |
歴史 |
◆石垣の美
一般に見返り坂と呼ばれるこの坂は、新緑の頃は楓の若葉が、秋は紅葉が美しい。右手頭上に三の丸の高石垣が、美しさと堅固さを誇ってそそり立つ。石垣の上端で垂直に立ち、徐々に緩やかな曲線を描き、遂に土に埋もれる優美な姿は、丸亀城壁の美しさである。この石垣の高さは約二十二メートルあって、本丸まで三段の高さは四十メートルに近い。この城壁に丸亀城の風格を偲ぶことができる。 ◆丸亀城天守閣 江戸時代初期の建築三層三重楼の屋根は南北棟の入母屋造本瓦葺軒高丸重木型総塗籠波形軒である。一層は高さ7.2メートル、石落とし及び狭間付、西面を除き腰羽目板張り上部塗装、一層屋上南北側面に唐破風付、二層は5.4メートルに7.2メートル塗籠二層屋上東西両面に千鳥破風飾付、三層は3.6メートルに5.4メートルに塗籠各層武者窓窪、各層の遁減割合はまとまりよく統一されている。内部は各層床板張、内部柱は一層二十本、二層十四本、三層日本で隅柱は左右に添柱を建てている。用材は梅を主とし桧と松を混用している。昭和二十五年天守解体修理の際、三層の壁の中から『万治三年三月』と墨書きした板札が発見された。是によって寛永十九年山崎氏着工の築造が京極氏によって閑静されたことが判明した。 昭和三十二年三月二十日、前記の板札が重要文化財に附指定された。 『丸亀城 案内板』より
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資料 |
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年表
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私見 |
高松に続いて丸亀城にやってきたのは午後2時の炎天下の中でした。現存12天守の一つであるこの丸亀城は生駒氏、山崎氏、そして京極氏と時代を経て少しずつ完成されていった、名城の一つです。正面のときわ橋から天守を見上げたその姿はまさにそういった長い年月をかけて築き上げられていった諸氏の重みが感じられます。日本でも有数の高さを誇る高石垣の上には三層と少し小さめの天守が、余計遠近感を際立たせて高さを印象づけてくれます。
門をくぐると枡形が用意されています。元々3つに分けてあったものをひとつにしたそうですから非常に広く感じます。 そして、見返りの坂へと続きます。坂を登る前に杖を借りることのできるサービスがあります。それだけ登城はきついものがあるということなのでしょう。30度を軽く越えている炎天下のなか我々のほかは登城している人もめったにいません。 汗をぬぐいながら坂の中腹までやってくると右手に二十二メートルの石垣がそびえているのをすぐ目の前で確認できます。大きく曲線を描きながら天へと伸びたその姿はまさに見事のひとことです。 そして、二の丸へとやってきました。ここはこの石垣を積み上げた名人が城の完成後に城主によって暗殺されたという悲話が残っている井戸があります。 ようやく本丸にやってきました。下から見た印象と大きく違って天守閣は非常に小さく感じます。然し現存天守閣の風格とでも言うのでしょうか。物足りなさは微塵にも感じさせません。そして、天守に登ってみます。入場料は大人50円。異常に安いです。通常300〜500円くらいが相場なのに50円とは。 入城料を支払った時に受付のおじさんより「とりあえず一番上に上がってクーラーで涼んでから見たら」という薦めに従い、三層にあがってみました。一気に体感温度が下がりました。なんともいえない心地よい涼しい風が天守のなかを通りすぎているのでした。天然のクーラーというわけです。はるか遠くに瀬戸大橋が見え、瀬戸内海を一望できるこの丸亀城はぜひお勧めのお城です。 何度か遠めに見ながら横を素通りしていた丸亀城でしたが、約8年ぶりに再訪してきました。折りしも日本100名城のスタンプラリーが始まったばかりですので、当然スタンプ帳も持ってきています。久々の丸亀城は月見櫓跡が整備されているほかは、以前のイメージと変わらない落ち着く城跡でした。 小ぶりの天守閣は入場料が200円になっていました。それでもほかの現存天守と比べるとかなり安いですね。
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