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知覧麓跡登城日:(2009.03.20) 所在地: 南九州市知覧町郡 |
歴史 |
◆知覧武家屋敷庭園 徳川幕府の天下統一は、一国一城の制度を厳守させることにありました。 そこで薩摩藩は、鶴丸城を中心として102(のち113)の外城をおきました。外城は城ではなく、旧城の麓に郷士族の集落をつくり、「人をもって城とする」軍事行政上の拠点でありました。 知覧麓の整然とした縦横の道路は、第18代知覧領主島津久峯公の時代に造られたもので、領主の御仮屋(居宅)を中心に防備を兼ねた城塁型の区画となっています。 ◆重要伝統的建造物群保存地区 武家屋敷庭園群は1750年前後に造られました。主屋と庭園とがよく調和し、石垣の一つの庭園を形成しています。上郡地区18.6ヘクタールは、藩政時代のたたずまいを今に残しており、昭和56年11月に重要伝統的建造物群保存地区として、国の選定をうけました。全国では17番目、九州では2番目の選定となります。 ◆知覧武家屋敷庭園「名勝」に指定 庭園が名勝として国の文化財に指定されたことについて、文化庁は薩摩藩だけにある郷の麓にあること、いずれも江戸時代中期の作庭で、それぞれ優れた意匠で構成されていること。その手法は琉球の庭園と相通じるものがあることなどをあげ、庭園文化の伝統を知るうえでも、貴重なものと説明しています。昭和56年2月に7庭園が名勝指定になっています。鹿児島県では、昭和33年島津氏の別邸である磯庭園についで2番目の名勝指定となっています。 ◆国選定重要伝統的建造物群保存地区 薩摩藩では藩政時代、地方行政組織として百余の外城を各地に設けて統治にあたった。外城では、行政庁である御仮屋を中心として麓と呼ぶ武士団の居住区があり、さらに町家、村落と続いていた。 知覧もこの麓の一つで、御仮屋の前には城馬場が通り、またこれに直交して本馬場が通されている。 馬場とは、大路をいい、この馬場を挟んで麓の武家屋敷が形成され、随所に小路を配している。 知覧がいま見るような姿に整備されたのは、十八世紀の中頃、知覧領主 島津久峯の代であるという。 伝統的建造物群保存地区は、本馬場を中心とした麓一帯から城山にかけての、東西約900メートル、南北約200メートルの範囲である。曲折する道路に沿って、石垣、生垣を連ねて屋敷地を区画し、道路から少し後退して、腕木門、石柱門を開きすぐれた景観を見せている。 主屋は奥に建ち、道路との間に枯山水などの庭園が造られるが、これらの庭園のうち、主なものは国指定の名勝「知覧麓庭園」となっている。 知覧伝統的建造物群保存地区は、鹿児島県に、いま残る麓の代表的なもので、旧観をよく伝えるものとして価値が高い。 ◆知覧型二ツ家(小棟おき二ツ家) 鹿児島に独特だといわれる二ツ家の中で、特に知覧だけにみられる二ツ家は、二つの屋根の間に小棟をおいてつなぎとした造りです。民家建築文化史の上からも、貴重なものとされています。 居住用のオモテと台所のあるナカエの建物が、別棟となっている分棟式民家は、生活上不便が多く、次第に近付けるようになったのです。 知覧型二ツ家は、その分棟式の建物であるオモテとナカエが合体したもので、知覧大工によって創作された知覧独特の知覧町の建築文化であります。 『知覧麓跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
知覧城から直線距離で北へ約1.3キロメートルの辺りに知覧麓跡がありました。島津氏が敷いた外城制では各地に家臣がそれぞれ城を構えるという認識でしたが、この知覧麓は武家屋敷群じゃないですか。外部からの攻撃を想定した防御施設をどうしても期待してしまうのですが、どうなんでしょうね。地理的には知覧城よりも亀甲城が近いので詰めの城としての役割があったのならわからないではないですが・・・まぁそれは置いておき、知覧麓跡を散策することにします。 知覧麓は、現在は知覧武家屋敷群として7つの庭園を公開し、有料のエリアとして保存されています。大人500円(高い!と思ってしまいました(^^;)を支払い、西側の検察庁があるところから入っていきます。左脇に御仮屋跡を示す石碑が置かれています。この辺りが中心地だったのでしょうか。 武家屋敷群のメインストリートである本馬場通りは両脇を石垣が延々と続き、非常に気持ちのいい整備ぶりです。途中で少し折れをつくって先まで見通せないようになっているのは城跡らしい構造ですよね。7つの庭園である西郷恵一郎氏邸、平山克己氏邸、平山亮一氏邸、佐多美舟氏邸、佐多民子氏邸、佐多直忠氏邸、森重堅氏邸を順に見ていきます。すでに城跡に来ていることを忘れておりましたがそれでも武家門とその奥が見通せないような目隠しの石垣や枡形などがあるとやっぱり嬉しいです。お庭はあまり興味が、いや知識がありませんのですが森氏のだけが築山泉水式庭園で、あとの6つは枯山水式庭園なのだそうです。さらに驚くべきことに実際に現在も住居として生活なさっているようだということです!なんと年中自宅を観光客に公開しているなんて・・! なお、ここ知覧麓跡は「日本の道100選」や「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれています。何かと”100選”があるものですねぇ。
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