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三崎城跡
登城日:(2003.03.23)
所在地: 三浦市城山町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 三崎城址碑  このあたり一帯は城山といい、古城の跡である。三崎城は海にのぞみ丘陵に地の利を得、土塁、空堀をいく重にも組み合わせた中世の山城、築城の年月は不詳であるが永正十五年(1518)七月十一日北条早雲に敗れた三浦義同が新井城(油壺)に亡ぶとき、三崎城もまた落城した。その際囲みを破った城兵は城ヶ島に逃れなお抵抗をつづけたという。
 その頃、三浦氏は戦国の風雲に乗じ相模一円に領域を拡げていったが、三崎城は三浦一族累代の居城新井城の背後をまもる重要な支城であるとともに水軍の根拠地でもあったといわれている。
 落城の後、北条氏はこの城に五代にわたり兵を置いたことからいまに北条山の地名が残っている。しかし天正十八年(1590)豊臣秀吉に攻められ小田原北条氏の滅亡にともない三崎城は廃城となった。

『三崎城跡案内板』より

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資料  

私見 いまやほとんどが破壊されてしまっています三崎城  三浦半島南端に近い地点に位置する三崎城は現在は市役所や三崎中学校、三崎小学校などが建ち並んだ丘の上にありました。案内板と城址碑が体育館横にあります。付近には土塁跡が見られるのですが、かつてのものなんでしょうか。
 このあたりは海が近く、景色や複雑な地形を楽しむというだけでも十分満足できます。ですのでついでに城攻め、という感じでもいいんじゃないですかねぇ。
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