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武衛陣

武衛陣跡


登城日:(2010.02.06)
所在地: 京都市上京区武衛陣町
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
平安女学園の建つ辺りにあったとされる ◆斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址
 室町幕府「第一の家格」として三管領筆頭だった斯波義将(1350〜1410)は、宮中御所等を守護していた兵衛府の唐名をとって武衛と呼ばれていた。斯波氏が、室町通り勘解油小路に邸宅を構えたため「かでのこうじ殿」と呼ばれることもあったが、いつしかこの地と邸宅は、武衛の名をとって武衛陣と呼称されるようになった。武衛陣は、応仁の乱で戦火に遭い焼失したが、遺址附近は現在も武衛陣町と呼ばれている。
 後年、室町幕府第13代将軍足利義輝(1536〜65)が当地に邸宅を構えて政務をとった。しかし永禄八年(1565)松永久秀らに襲撃され死去、邸宅も焼失した。
 永禄十二年(1569)、織田信長が武衛陣跡地を拡張し、室町幕府最後の将軍義昭(1537〜97)のための旧二条城を建設した。
 維新後の明治28年、この「武衛陣・旧二条城」跡地に、平安女学院が大阪の川口居留地より移転し、今日に至る。平安女学院の英語名であるセント・アグネス・スクール(St.Agnes'School)のセント・アグネスは、紀元305年ローマ皇帝の迫害によい13歳のうら若き身をもって殉教の死を遂げた少女の名である。その後、セント・アグネスは、全世界の信徒より「少女の守護聖人」として崇められている。
 守護を司った斯波氏武衛陣と守護聖人アグネスを校名として掲げる平安女学院は、奇しくも同じ場所に建てられている。

『現地案内板』より

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資料
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私見
平安女学園の建つ辺りにあったとされる  御所から平安女学院が建つあたり一帯は、斯波義将の邸宅があり、そして永禄二年(1559)に室町幕府十三代将軍義輝が居城を築いた場所なのでした。「室町通り」だとか「武衛陣町」といった地名で残るのが唯一の遺構なのかもしれません。この日は雪が舞う寒い1日で大変でしたが、一番困ったのが写真が撮り難いということです。でもまぁここだと碑さえ撮っておけばあまり気にしなくてもいいかな。ちなみにここから少し北にあがると信長が十五代将軍義昭のために築城した旧二条城の碑があります。
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