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二条古城跡登城日:(2006.09.15→2010.02.06) 所在地: 京都市上京区武衛陣町辺り |
歴史 | ![]() 天正元年(1573)信長によって足利義昭が京を追放され、ここに室町幕府は滅亡となる。その時二条古城は廃城となったようである。後に誠仁親王の御所にあてられたが、安土城築城の際に資材が解体され、その多くが安土に運ばれてしまった。 『日本城郭体系11』新人物往来社刊参照 ◆旧二条城の石垣 ![]() 天正十年(1582)の本能寺の変において明智勢に攻め入られ信長の長子、信忠が自刃し城郭建築は焼失した。 この石垣は、京都市高速鉄道烏丸線(地下鉄)建設に際し、烏丸下立売から発見されたものである。石垣は「犬走り」をはさんで上下二段に分かれて北面し、東西方向に走り、東南方向に折れる角をもつ。この遺構は移築に際し方向が90度ほど変わったが、元来は東西方向が長く、8メートル強を測り、普通の石材約150個の他に40個程の石仏・板碑・礎石が使われている。『二条城内案内板』より
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資料 |
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私見 | ![]() 石垣が一部見られる場所があるらしいのですが、どこなんでしょうか。突貫工事を行い、石仏を転用した当時の石垣を是非とも拝ませてもらいたいです。 たまたま仕事でこの辺りに来ていたところでしたのでついでにぶらぶら歩いてみました。平安女学院の北西隅に小さな城址碑を見つけました。碑があることは知りませんでしたので達成感がありましたよ(笑)。しかし、警備員さんの視線が怖かったので、冷静に写真を撮っている姿が怪しく映ってしまったかもしれませんが(^^;。 ![]() そして2つ目は二条城の本丸奥に積み上げられた石垣です。こちらは案内板の文章を読まないとわからない2段構成となっており、中央部分が犬走りなのでしょうか。こちらもまた随分と粗く、そして崩れかけたような印象を受けますが、よく見れば様々な石材が混じっているのがわかります。はたしてこの石垣で当時どのような石垣になっていたのでしょうね。でもまぁこの2箇所の石垣が見れただけで満足感が全然違うのですから、不思議なものです。
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