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亀山城跡 登城日:(1998.09.20) 所在地: 亀岡市 |
歴史 |
天正6年(1578)、織田信長の命により丹波平定の為の前衛拠点として明智光秀が建立した亀山城は、明治になってこの地は伊勢亀山(三重県)との混同をさけて亀岡と改められた。
天正10年(1582)の本能寺の変の時、愛宕山での戦勝祈願のあと軍備をととのえた光秀は、6月1日夜、1万3千人の軍勢を率いてこの亀山城を出発し、老ノ坂を越えて京都本能寺に向かった。 光秀が敗死したあとこの城は、豊臣秀勝(信長の四男で養子)、小早川秀秋(関が原合戦で東軍に寝返り)などが入城したが、現在は大本教の本部になっている。
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資料 |
私見 |
天正6年(1578)、織田信長の命により丹波平定の為の前衛拠点として明智光秀が建立した亀山城は、一級河川雑水川が北部を緩やかに流れ、外堀の役割を果たしている。足を踏み込むと内堀であったらしき空堀跡や石垣がしっかり残されている。が、残念ながら本丸跡地には足を踏み入れることができなかった。
大正18年大本教がその跡地を購入しすっかり私有地となっていたからである。本丸跡地は神聖なる聖地として関係者以外の立ちよりを禁止していた。私もいつのまにか後ろに回り込まれていたおばさんに注意され、本意を遂げることができなかった。道理でどこにでもある史跡指定の石碑が見つからないわけである。私有地では国もなかなか石碑を置くこともできないのだろうか。雑水川をはさんだ小さな南郷公園に亀山城のしゃちほこが記念に像になっているだけであった。
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