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鹿背山城跡登城日:(2012.02.25) 所在地: 木津川市鹿背山鹿曲田 |
歴史 | 南山城最大の山城であるだけでなく、戦国末期の特徴をよく残す点で城郭史上注目される城郭である。 十五世紀に南都興福寺の北方防御の拠点として史料上に登場し、古市氏以下興福寺傘下の武将がしばしば入城した。 十六世紀後半、大和北半部を支配した松永久秀は多聞山・信貴山・龍王山とともに本城を拠点として重視し、改修を加えた。 城域の西北・東南の二か所に畝状空堀群を採用して防御上の弱点を補い、主郭北斜面の水の手をカバーする竪堀・竪土塁で北面防御を完結させたほか、主郭東南隅の櫓台の切岸直下の隘路に通路を導いて城虎口(出入り口)とするなど、織豊城郭登場前夜の築城技術の水準を示す貴重な遺構を残している。 『鹿背山城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
鹿背山城は、何故か今まで訪れるチャンスがなかったのですが、そうこうしていたらテレビで取り上げられるほどになっていたのには驚きでした。でもそのおかげ?か、よく整備されていて大変見やすかったのはよかったです。 最寄りのJR「木津」駅からだと歩いていくのが大変だなぁと思っていたのですが、ありがたいことに車で西念寺まで連れていっていただけました。ここには案内板と縄張り図、また資料も置いてあり至れり尽くせりです。 寺からは比較的歩きやすい散策ルートができていました。しばらく歩いていくと山城遺構が要所要所で案内をしてくれているのがわかりました。山城をあまり経験ない方に大変優しい配慮で、感動です。でも「橋」はさすがにどうかと・・。 途中、大竪堀を横目にして左へと曲がる道なりに郭に到着、そこからなんとか一筆書きで散策すべく(笑)、まずは西斜面の畝状空堀群をチェック。長さはあまりないですが、はっきりと残っていて分かりやすいです。そしてそこから北上し、切岸を直登して郭面に復帰します。無茶な攻略ルートですが、効率よく遺構のパーツチェックと位置関係を確認していますので、目線はどちらかというと松永側でしょうか。 あちこちキョロキョロしながらの散策はかなり時間がかかってしまっていますが、そうこうしているうちに主郭へ。枡形虎口だったようですが、言われないとわからないです。主郭は想像していたよりもかなり大きく、周囲への見通しがあって素晴らしい。すぐ下には大きな竪堀がありますのでそこも一応降って登っての1セットをやっておきます。こんな箇所は絶対草ぼうぼうでしょうに、きっと地元の方が綺麗に草刈をしてくださったのですね。ほんと訪問者に優しいお城だと何度目かの感動を実感します。それと共に往時は相当厳しかったんだということがわかります(笑)。水の手を経由して主郭U(そういえばさっきのは主郭Tでした!)の表示があります。なんと主郭Vもあるんですね。くねくね、登ったり降りたりの繰り返しでかなり満喫できました。今回は常に傘をさした状態でもありましたので、次回はいい天気の日に攻め側の目線で訪問したいと思います。
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