Check |
革嶋城跡登城日:(2009.03.28) 所在地: 京都市西京区川島玉頭町 |
歴史 |
◆革嶋春日神社由緒 往古より、山城国葛野郡川嶋荘に祭られてきた神社で、春日大神(建御賀豆智命、伊波比主命、天児屋根命、比売神)を祭神とする。 この社を守り伝えてきた革嶋家は、清和源氏の流れの佐竹氏であるが、鎌倉時代、近衛基通の縁故によって川嶋荘の荘官となり、革嶋姓を名乗り、のち地頭としてこの地を領有するところとなった。その故に藤原氏の氏神としての春日神社を荘園の守護神としたのであろう。 革嶋家に伝わった古文書1630点は、鎌倉時代から明治に至る川嶋荘の歴史を物語る貴重な史料で、現在は革嶋家より京都府立総合資料館へ寄贈され、平成十五年重要文化財に指定されています。 『革嶋神社案内板』より 革嶋城の詳細は不明だが、鎌倉時代後期には革嶋氏が居館としていた。このあたりは近衛家の荘園となっており、近衛家より派遣された役人が当地の地名を名乗るようになったのが革嶋氏であったという。 戦国期には勝龍寺城の細川氏に仕えたが、山崎の合戦で明智氏に従ったために没落、しかし革嶋城は江戸後期までその遺構が残っていたといわれる。 『京都乙訓・西岡の戦国時代と物集女城』文理閣刊参照
|
資料 |
【地図を表示する】
|
私見 |
阪急電鉄「桂」駅を降り、南へ約5分ほど歩いたあたりに革嶋城があったとされています。現在は宅地が建ち並んでいること、平城であったこともありかつての姿を想像することはかなり困難になっています。三宮神社の南東方面に南北に細長い方形居館があったと考えられるようですが、北側は新しい宅地と小さな神社(革嶋春日神社)が、南側は畑と藪地になっています。東側からのぞけば、藪地の中には土塁のような形状が残っているようにも見えますがどうなんでしょうか。又城域のすぐ東側を流れる今井用水は、かつての堀跡だったのでしょうか。まわりは城跡散策するには似つかわしくない静かな住宅街ですので、訪れる際には現状を配慮しつつめぐらないといけなさそうです。
|