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並河城跡 登城日:(2001.05.20) 所在地: 亀岡市大井町並河 |
歴史 |
亀岡から八木に向う府道402号線を犬飼川を越えてすぐ右手の法然寺を含んだ一帯が並河跡である。
天正年間、丹波に攻め入った織田軍の明智光秀に呼応して命脈をつないだ並河城主並河掃部介は明智光秀の丹波攻めによく貢献し、八上城攻めにも参加している。 当時並河城は大堰川(保津川)を水田に流し込み、本丸脇にまで水をひくことで内陸部にありながら水運の便によって常に海と繋がる可能性を有していたようだ。 参考文献:新人物往来社 『日本城郭体系11』
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資料 |
私見 |
意外と城跡を多く有しているのが亀岡市です。某教団に守られたものもあれば人知れず埋もれていったものも数多くあります。
並河城は法然寺を目印にしたのでわかりやすかったです。しかし本丸跡はその寺の奥にある竹やぶのなかです。特に寺の持ち物じゃなさそうな竹やぶは荒れ放題でおいてありました。 寺地よりは一段高いところにあり、こんもりと1.5m余りの高さに盛られた土が一体なにをあらわしているのか全然判別できませんでしたが、荒れ放題の状態がよけい当時のものがこうなっているのかも?と想像力をたくましくしてくれていいですね。 あと、本丸前まで船溜りをつくって海まででることができたなんて、なかなか着眼点がすばらしいですね。今は民家がたってしまってあとかたもないですが、でも逆に舟で攻めこまれたらどーすんだろ。
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