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三ノ宮東城

三ノ宮東城跡


登城日:(2011.10.16)
所在地: 船井郡京丹波町三ノ宮
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
北側から見た三ノ宮東城の曲輪1 石積みを持つ通路 西から三ノ宮東城を臨む  三ノ宮東城の詳細は不明である。

 隣接する三ノ宮城(三ノ宮西城)の山内氏との関連する城であるという見方もあるが、はっきりしていない。
 2011年4月から11月にかけて実施された丹波綾部道路の建設に伴う事前発掘調査によって、出土した遺物から見て16世紀前半頃に築城されたと考えられている。

『三ノ宮東城跡発掘調査現地説明会資料』公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター

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資料
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私見
三ノ宮東城上空(現地説明会より) 急斜面上に築かれた郭  三ノ宮東城を初めて知ったのは当サイトの掲示板にて、発掘調査が行われていることを教えていただいた時からでした。またネットのニュースになっていたこともあり、2011年10月16日の現地説明会に行ってきました。
 国道173号線(綾部街道)東脇に突き出た丘陵頂部にあった三ノ宮東城は木々が伐採され、遠目にも郭跡の削平や竪堀などの縦の段差がくっきりと見えています。これだけでも来てよかったと感じます。説明会の内容は割愛しますが、担当されている皆さんの熱意がひしひしと伝わってくる実にいい説明会でした。そしていよいよ登城です。信号脇からあがる道がつけられており、城の西側斜面に設けられた曲輪5や曲輪4を見ながらのルートです。当時の登城道は不明だということですが、おそらくは曲輪5の北側にとりつくことになっていたと考えられています。西側は曲輪3、4、5と上から順に段差がつけられ、それぞれの間に急峻な切岸があります。下から見上げるとほぼ垂直に見えるほどの切岸はとても登れる気がしません。また曲輪3、5にはそれぞれ切岸裾に排水溝が設けられていたり、部分的に崩落防止のためか石積みが露出しています。実に細かい仕事ぶりがうかがえますね。
西側斜面の切岸と排水溝  曲輪4から並行移動して、南に張り出した曲輪6にやってきました。ここからは南側が遠くまで一望できます。面白いのは上部にある曲輪2を見上げたところです。畝状に竪堀と竪土塁が設けられているのが非常に見やすくなっています。西側とは違い、明らかに防御意識が高まっているのを感じます。

 戻って曲輪4から屈曲した通路を経て曲輪3へ。そして曲輪1へとあがる虎口付近は石積みとなっており、より重要な場所へと進んでいるんだと感じさせてくれます。また上部には曲輪1の南端が待ち構えているかのように通路をあがってくる者に横矢を掛けることができるようになっています。曲輪2と曲輪1の南端それぞれに礎石建物跡があり、また曲輪1への虎口にも門が設けられていたようですから、実に堅牢な構えですね。現地説明会ならではの詳しい説明と、非常にわかりやすく発掘していただいたおかげもあり、大変面白く散策できます。
礎石建物と貯蔵穴を持つ曲輪2 曲輪2斜面の竪堀、竪土塁 曲輪6から見上げた竪堀、竪土塁  いよいよ曲輪1です。城内でも一番大きな郭であり、礎石建物跡が3つも検出されています。東側はまさに断崖状態で、北東付近に竪堀が1つ検出されています。曲輪の東側縁には石列がありますがこれはどういう役割だったのでしょうね。ここではまず目をひくのが北端にある土塁です。北東部に石積みをもつスロープ状に土塁にあがることができ、ここから北の尾根へは深い堀切が1つ、そしてその先に土塁が築かれています。その先にも堀切が2つ。つまり三重堀切となっています。一番手前の堀切の内側にそって、西斜面には大きな竪土塁が築かれています。急な斜面ですのでよく造ったものだと感心させられます。

曲輪1の貯蔵穴 西に見える三ノ宮城  こうやってみると北東尾根や、南、東へは防御の意識が強かったようですが、西側は郭が連なるだけであまり外敵に対する措置が見られません。これはおそらく西側に隣接する三ノ宮城とのなんらかの連携なり、共存の関係にあったのだろうというお話でした。それにしても見事な築城ぶりです。しかしそれにもましてここまで発掘調査されたことにはただただ感動するばかりです。6000平米に及ぶ調査範囲にほぼすっぽり収まった城域が見事に復活し、当時の様子がそのまま伝わってくるようにして下さったことは想像を絶する労力が必要だったと思います。それを考えると説明会での熱の入った説明や、担当者の方が前夜に作成されたという復元図からも想像できます。何度見てもため息の出るお城でした。そうそう、忘れていました。このお城には井戸がありませんでした。担当の方にお聞きするとその代わりとして貯蔵穴や丹波製の焼きものを利用したのだろうということでした。さらに面白いのはこのお城は戦のためのものだけではなく、平時に居住していたらしいとのこと。多くの出土品からの考察もさらに想像が膨らみ、ワクワクしてきますね。
曲輪1西斜面の竪土塁 曲輪1の石積みと土塁  通常は現地説明会の様子は書いてはいけないような気がして遠慮していましたが、2011年12月には高速道路建設の工事が始まってしまいます。それまでにできるだけお城好きの方に知っていただき見ていただきたいと思い、書かせていただきました。(でもふらっと行って、見学できなかったらゴメンナサイ)
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