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三ノ宮城跡登城日:(2011.10.16) 所在地: 船井郡京丹波町三ノ宮縄手 |
歴史 | 三之宮城は、織田信長、豊臣秀吉に仕えて山内家を再興し後に関ヶ原の戦いで徳川家康に属し遠江国掛川六万石から土佐二十四万石の国主に抜擢され慶長八年(西暦1603年)高知城を築き初代土佐藩主となった山内一豊公から数えて十三代前の宗俊の次男家俊が兄時俊との間に争いが起こり、ここ丹波国三宮(京丹波町三ノ宮)に備後国地昆荘(広島県庄原市)より移り住み、土佐山内家を興したと伝えられている。 山内一豊公の父盛豊公は明応九年(西暦1500年)頃丹波で生まれ三之宮城に住したと伝えられている。 宗俊⇒通綱⇒通資⇒通時⇒通継⇒通忠⇒実通⇒通基⇒貞通⇒盛通⇒久豊⇒盛豊⇒一豊 『三ノ宮城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
三ノ宮城(三之宮城)は東に隣接する三ノ宮東城の現地説明会のついでに寄ってきました。三ノ宮東城から見下ろすとあまり大きな規模の城ではないのがわかりますが、現地の案内板ではかなりの”山内推し”になっていて、ここで山内一豊の名前を見るのは新鮮でした。 登城口は小学校の東側と、西側の公園のところからのものがありますが、東側からのルートをお奨めです。遠回りになるのですが西へと進んでいくと南側斜面の大きな竪堀を越えていくことになります。(竪堀ですよね・・汗)で、その先で西側からのルートと合流し、緩い斜面を登っていきます。途中、浅い竪堀を見ながら頂上の主郭へ。東に一段さがった曲輪があり、意外と広いスペースがありますね。しかし残念ながら現在は周囲への眺望はあまりよくありません。ここで一豊のお父さんである盛豊が生まれたのかぁ・・・なんて全然ピンときません(笑)が、山城遺構はよく残っていて見やすいお城ですね。あ、そうそう北西側に降りる登城道がもう1つあったんですね。すぐ下に堀切もよく残っています。
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