城めぐドットコム HOMEへ Check   Twitterでつぶやく     


滝川氏城

滝川氏城跡


登城日:(2012.09.21)
所在地: 名張市下小波田
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
滝川氏城の広大な郭  滝川氏城は、その名の通り滝川三郎兵衛(雄利)の城である。北畠(織田)信雄に仕えていた三郎兵衛は、信雄の伊賀統一の為の拠点として丸山城を築いたが、天正六年(1578)、地元土豪らの攻撃を受け敗走した。その翌年に七千の軍勢で改めて攻め込んだが再び敗走。さらに同九年には、信雄が率いる約四万の兵と共に三度目の来攻を行った。三郎兵衛は、比自山砦を攻略した後、柏原城に攻め寄せるもこれを容易に落すことができなかった。そのため、本隊と共に下小波田へ移動すると、城を築いて滞在の拠点としたのである。
 滝川氏城のすぐ南には織田信雄の居館として築かれた桜町中将城が残されている。

『日本城郭体系』新人物往来社刊参照

【戻る】

資料
【地図を表示する】
 

私見
滝川氏城の土塁 滝川氏城の空堀  滝川氏城は、小高い丘陵(といっても城山と言うそうですが)の頂部にありました。城のギリギリそばまで建っている集落を避けるようにして、北側に回り込む道路を走らせて城域に入っていきます。単郭構造の城は、そのまま現在は使われているのかわからないような寂しい状態のグラウンドとして姿を変えて現代に残されていました。グラウンドがすっぽり入ってしまうほどの巨大な郭は約70メートル四方だそうです。三重県内では最大規模なんですね。周囲は木々が伸び放題とはなっていますが、四周を土塁が巡らされていることはよくわかります。遠征時の駐屯地として臨時のお城だったのだと思っていたのですが、この土木工事の規模は圧倒されます。三万五千の兵がそのまま築城工事に携わったのでしょうかねえ。また土塁の外側には大きな空堀が残っていますよ。西の空堀を見ながら南へと歩いていくと油断したら私有地に足を踏み込んでしまいますので要注意です。
【戻る】