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龍岡城

龍岡城跡


登城日:(2012.07.22)
所在地: 佐久市田口
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
 龍岡城五稜郭
田口城より龍岡城を臨む  信州に一万二千石、三河に四千石の封地を持つ三河奥殿藩の松平氏は、宝永以来百六十年間、三河に本拠を持ち、佐久には陣屋を置いて、領内二十二か村の統治をつづけてきたが、11代乗謨になって、幕末激動の状勢に応じて信州に居館を移すことを計画し、元治元年(1864)三月着工、慶応三年(1867)竣工、地字名をとって龍岡城と称した。用地一万余坪は田野口村より、石材木材などは領内より献納、総費用四万円余であった。藩主乗謨は学才識見ともにすぐれ、幕府の陸軍奉行、老中格、陸軍総裁などの要職につき明治に入っては、佐野常民と共に、赤十字社の前身である博愛社を創設し、副社長、又、賞勲局総裁など歴任した。築城にあたっては、稜堡式築城法を用い、いわゆる五稜郭が成立した。そしてこれより四年前完成した函館五稜郭址とともに、わが国城址の中においてただ二つの貴重な様式城郭である。廃藩後明治五年、城はとりこわしとなったが、さいわい濠と石塁、建物の一部大台所を残している。
 注 松平乗謨、田口藩最後の藩主で明治初年大給恒(おぎゅうゆずる)と改姓名

 史跡龍岡城址
枡形遺構 鋭く尖った稜堡先端  本城は旧龍岡藩主松平乗謨がその居城として築いたもので、元治元年(1864)三月着工、慶應三年(1867)四月竣工した。
 明治四年(1871)龍岡藩の廃藩にともない廃城となり、建物も一部除いて撤去されたが、石垣や堀は、築城当時の状態をとどめている。
 西洋式城郭の様式をとり入れた五つの角をもつ星形の城郭は、函館の五稜郭と同様であって、城郭史上特異な位置を占めているばかりでなく、幕末における海外文化の移入のあとを示すものとして歴史上価値のある遺跡である。
 昭和九年(1934)五月、国の史跡に指定された。
 またこの場所は、龍岡城の北の入り口にあたり、敵の侵入を防御し、攻撃的機能も兼ね備えた鉤の手状の枡形として良好な状態で保存されており、貴重な遺構である。

『龍岡城跡案内板』より

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資料
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私見
案内板に描かれた龍岡城 佐久市にある龍岡城は、国内では大変珍しい稜堡式の城郭です。現地に着く前に先に地図で五角形を確認していましたが、改めてそれを目の前にすると感動ですねぇ。車を城の北側にある駐車場に置き、「五稜郭であいの館」で資料をチェック。地元にお金を落とすべくおみやげもチェックしますよ。ここでは「五稜郭タオル」をゲットしました。タオルに穴が開いていて、首に巻いて使うことを想定したものでした。『巻いて星ーい』ってことですので、いつか使わせてもらうことにしましょう(^^
 さて、いよいよ龍岡城を散策します。五角形のうち北側を含む3つの角に現在も水濠が残されており、往時の雰囲気がよく残されていました。石垣は天端が少し飛び出ている「武者返し」の構造をもっていますが、ここではその上に作られている土塁の土が落ちないようにという工夫のように見えますね。
通用門脇の水濠 龍岡城の大手門  大手門そばにやってきますと左右からの攻撃を受けるという格好なんだとは理解してますが、やっぱりこの水濠の幅といい、本当に戦える城だったのかなと思ってしまいます。北海道の五稜郭が完成した元治元年(1864)に着工されたこの龍岡城は、形こそ似ていますがやはりまったく別物なものだなと感じました。訪れましたこの日は日曜ということもあり、城内の小学校には誰もいませんでしたが、平日ですと城の見学者は小学生らがいる中で城内(校内)を散策することになるのでしょうか。物騒な事件もおこる昨今ですが、かなりガードが甘いですねぇ。とは言え普段から締め切られているとお城見学もままならず、なかなかつらい選択だとは思いますが。・・
 城内には御台所が現存していますが、現在建っている場所は解体復元工事の際に移されたもののようですね。そう思って見渡しますと、グラウンドの脇に移動させて、小学校を第一優先としたように見えます(笑)。しかし近年の少子化の影響で、小学校は統廃合も計画されていると聞いたことがあります。いずれどこかに小学校が移るようなことになれば、一気に発掘調査や、復元整備が進みそうですね。想像だけでワクワクしてしまうのですが、田口小学校の出身者や現在通っているお子さんには面白くない話でしたね。スミマセン・・(^^;。

御台所  黒門あたりでは土塁を堪能しつつ、そして東に移って通用門付近では水濠のクランクを満喫しました。一部石垣が剥がれ落ちているものもありますが、植樹の根が押してるのでしょうか。
 地図で見ていた五角形を実際に歩いたわけですが、でも自分の目でその形を俯瞰できないとなんだか物足りないですね。北海道だと五稜郭タワーがありますが、ここにも同様の施設はないのでしょうか。いや、実はあるのです(って実はそれが今回のメインの目的でした)。城の北方約600メートルにある山上から城の全容を拝めるポイントがあるようなのです。またこの山は田口城跡でもあることから、行かないわけにはいきませんよね。詳しいことは田口城のページに譲るとして、そこからの眺望は最高でした・・。苦労があったから余計なのですが、是非ともここをもっと整備して、観光スポットにしていただきたいものです。

鬼門除け?  最後に、約100メートルほど離れた北方に枡形がポツンとなっているのも面白いですね。図面なり復元図でここと現在残っている城との関係がわかるようになっていればよかったですね。あ、それと忘れるところでした・・。北側の稜堡の先端だけ他と違って角が落ちていることに気づきました。ひょっとして?と思って大手門そばにある図面にもそれは見て取ることができました。やはりこれは鬼門除けなのでしょうか。北東というかどちらというと北にあたる方角ですが、どうなんでしょうね。北海道の五稜郭は正確に方角を計算に入れて作られていたと言いますから、この五稜郭はどうだったのでしょうねぇ・・。
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