長野県のお城 |
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長野県は信濃と呼ばれ、治承四年(1180)、木曾義仲が源頼朝に呼応して兵を揚げたのが信濃国の中世の幕開けであった。この当時の城とは館に防備を施した程度の居城だった。 南北朝時代には一時鎌倉府の管轄下となり上杉朝房が守護となったが、再び幕府管轄になり斯波義種・義将が守護とて入部してきた。この守護に対抗する形で北信濃において国人衆がこぞって決起するようになる。高梨氏、村上氏などである。これら国人衆らの活躍により信濃は守護の支配を脱することに成功し、幕府の直轄国となることになった。 やがて永享九年(1437)に守護小笠原政康の手により信濃は統一された。政康の死後、小笠原氏は分割し、松本小笠原氏と伊那小笠原氏となる。やがて伊那小笠原氏も分裂し、守護政秀(鈴岡城)は定基(松尾城)に討たれ滅亡。まさに下克上であり、信濃は戦国の様相を一気に深めていったのである。 やがて松本小笠原氏と村上氏の二大勢力にまとめられていった信濃であったが、隣国甲斐から武田氏の侵攻により徐々に武田支配となっていく。武田氏は城のありかたを大きく変貌させていくことになった。まず本城−支城体制を貫徹し、要所には海津城や深志城などの軍事・政治の中心機構を設置し、こうした城の間には「のろし台」を設置し連絡をとれるようにした。 天正十年(1582)三月、武田勝頼が滅び、織田信長の支配と変わったが、信長死後は周辺国がこぞって侵入し、領地の争奪戦を展開していった。やがて豊臣秀吉から徳川家康へと支配がうつっていくが、近世城郭の特徴を如実に表す高い石塁と天守閣を有する松本城、高島城などが築城されていく。 |
信濃 | 20 城 | 【戻る】 | |||
名称 | 読み | 所在地 | 登城日 | お奨め | |
鈴岡城跡 | すずおかじょう | 飯田市駄科 | 00.11.18 | ★★ | |
松尾城跡 | まつおじょう | 飯田市松尾代田 | 00.11.18 | ★★ | |
飯田城跡 | いいだじょう | 飯田市大手町 | 00.11.18 | ★★ | |
高島城跡 | たかしまじょう | 諏訪市高島 | 00.11.18 | ★★★ | |
高遠城跡 | たかとおじょう | 上伊那郡高遠町、高遠城址公園 | 00.11.18 | ★★★ | |
春日城跡 | かすがじょう | 伊那市、春日公園 | 00.11.18 | ★★ | |
上田城跡 | うえだじょう | 上田市二の丸、上田城址公園 | 11.11.21 | ★★★★ | |
松本城 | まつもとじょう | 松本市丸の内 | 02.09.01 | ★★★★ | |
松代城跡 | まつしろじょう | 長野市松代 | 11.11.21 | ★★★ | |
井川城跡 | いがわじょう | 松本市井川城1−4552 | 02.09.01 | ★★ | |
林大城跡 | はやしおおじょう | 松本市大字里山辺・入山辺 | 02.09.01 | ★★★ | |
光城跡 | ひかるじょう | 南安曇郡豊科町 | 02.09.01 | ★★★ | |
犬甘城跡 | いぬかいじょう | 松本市蟻ヶ崎、城山公園 | 02.09.01 | ★★ | |
小諸城跡 | こもろじょう | 小諸市丁 | 11.11.21 | ★★★ | |
龍岡城跡 | たつおかじょう | 佐久市田口 | 12.07.22 | ★★★ | |
一夜の城跡 | いちやのじょう | 伊那市富県 | 12.07.21 | ★★★ | |
大堀館跡 | おおぼりやかた | 長野市青木島町大塚、更北中学校 | 12.07.22 | ★ | |
荒砥城跡 | あらとじょう | 千曲市上山田 | 12.07.22 | ★★ | |
田ノ口館跡 | たのくちやかた | 佐久市田口、蕃松院 | 12.07.22 | ★ | |
黒河内城跡 | くろごうちじょう | 伊那市富県 | 12.07.21 | ★ | |
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