筒井城跡 登城日:(2003.03.07) 所在地: 大和郡山市筒井 |
歴史 |
筒井城は筒井の集落を包みこんだような形で存在していた。室町から戦国時代にかけて大和の政治の中枢であった筒井氏の本城であった。 筒井氏は嘉吉元年(1441)に家督を継いだ順永の頃に大和で随一の地位を築いたが、その後は対立する越智氏・古市氏らに圧された。 十六世紀に入ると、順賢・順盛・順興と続き大和国内での地位を確立しかける直前にまで力を広げてきたが柳本賢治や、木沢長政、次いで十市遠忠らが台頭してきた。そんな他勢力を凌ぐようになったのが筒井順慶の父、順昭の代だったが、永禄二年(1559)に松永久秀が大和に入国すると筒井城をめぐる激しい戦いが繰り広げられることになった。 元亀二年に筒井城を回復した順慶は、天正七年(1579)には多聞城の石を運び込み大改修を行っていったが、翌天正八年、信長による大和一国破城命令によって破却、郡山城に替わられることになった。 『日本城郭体系10』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 |
近鉄橿原線「筒井」駅を降りると周辺地図が掲げられています。注目すべきは周囲を取り囲んでいる外堀と内堀の跡です。筒井の集落は総構えのようにすっぽり堀で取り囲まれていたようですね。堀跡は蓮池になっていたり分断されていたりしていますが、それでも十分堀跡だと認識できる程度には十分すぎるほどの状態です。 城跡には案内板はありませんが、非常にわかりにくいところに城址碑があるだけです。ですから是非とも抑えておきたいポイントとなりますね(笑)。場所は正念寺の北側の道を東へ、菅田比売神社方面に歩いていくと民家と民家の間の細い入り組んだ路地を通ることになります。その路地を抜けると視界がひらけ、城址碑に出会うことができます。やはり城跡にきたら碑を見ないと帰れませんので(笑)、結構探してしまいましたよ、ほんと。
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