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柳生城跡


登城日:(2005.10.30)
所在地: 奈良市柳生町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
柳生城址碑です。 芳徳寺。ここまでで帰られる人も多いのかも。  柳生城がいつ頃築城されたのかは不明である。柳生村は以前は楊生庄と称し、春日社領神戸四箇郷の一の小柳生庄であった。以後戦国時代末期まで山中四箇郷として団結して、筒井氏と古市氏との争いの影響を受けるようになっていた。
 筒井・松永両氏の抗争時には美作守家厳、田島守宗厳父子の代であった。宗厳は柳生新陰流の祖石舟斎となり、その子五男宗矩は徳川家康に仕え、のちに柳生藩を開くようになった。

『日本城郭体系10』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
北側の郭を区切る空堀 本丸跡です。  柳生城があったとされる跡には正木坂道場、芳徳寺や学校があります。またその東側の最高所には本丸があり、学校に許可をいただかないと入れないことになっています。標高318メートル(比高68メートル)ですのですぐにあがることができます。一番の見所は本丸の北東部に延びる小郭が二つとそれぞれを分ける大きな空堀と、郭に残る土塁でしょうか。
 本丸は整備されてしまい、城跡らしき遺構は確認しづらいですがせめて見通しがよければよかったんですけどね。南側に延びる郭にも空堀があったようで、すべて踏破するとかなり大きな山城であったことがわかります。山城としては個人的に柳生古城のほうが面白いのですが、ここはここで「来たなぁ・・」と感慨深いものがありました。
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