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茶臼山城跡 登城日:(2003.07.26) 所在地: 赤磐郡吉井町周匝(すさい) |
歴史 |
茶臼山城址 位置 岡山県立備作高等学校の背後に聳える茶臼山(標高約180メートル)の上に在り前は吉井川に沿える周匝平野、後は津山川を隔てて飯岡平野を望み、景観は非常に勝れている。 遺構 本丸は東南に向って広い楕円形をなし、二の丸はその西続きの山頂に、とりでは津山川に臨む大仙山の上に在り、他に出丸・太鼓丸・空堀・井戸・小池・土塁などの跡が遺り、当時として相当の防備を持つ代表的な山城である。 事歴 戦国の昔、安芸の国より佐佐部亦次郎が改築を行い、天神山城主浦上宗景に属して勢をに振ったが、子の勘斎貞利に至り、宗景を亡ぼした宇喜多直家方の延原弾正を撃ち破ったことにより、天正七年三月直家に攻められて、城と運命を共にしたのである。なお津山川に面した一ノ谷には勘斎の子の千千代の墓が在る。 この地は美作国と備前国を結ぶ交通の要路であり、国境の要所であるため、歴史上、重要な場所であった。 城の築城時期は不明であるが、概ね中世、享禄・天文の頃に築かれたものと推察される。 城郭の形態は連郭式と呼ばれ、二つの尾根上に総延長約八百メートルにわたって土壇築成と削り出しによって城郭施設が構築されており、現在も比較的に良好な状態で遺存している基調な城址である。 ◆池田家代々の墓所(空の塚) (周匝字東雲谷) 天正七年笹部勘斎討死落城より約半世紀寛永九年岡山藩主池田光政が鳥取より転封に当り、国老池田伊賀守長明が配され周匝他二万二千石賜り当地に館を築いて以来、初代より七代まで代々藩主の墓所である。 『茶臼山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
茶臼山城は吉井町内にある城山公園にあります。車で来られる場合は無料の第一、第二駐車場がありますが、第二は池田家の墓所や二の丸が近くにあり、第一は本丸跡に近いです。私は第二駐車場に停め、そこから歩いて散策しました。池田家墓所は初代長政公から七代長玄公までの墓が順に並んでつくられています。そしてその先が二の丸となっています。
二の丸跡とされる地点と、本丸跡とはかなり離れていますので出丸のような位置関係です。そこから一旦坂を降りきり、第一駐車場を経て本丸へとまた坂を登っていきました。途中には大きな空堀跡が見れるようになっており、山城の遺構としてはなかなか良好です。 が、本丸跡にある三階建て天守は模擬天守です。中に入るためには17時までにこないといけません。私は残念ながら間に合いませんでしたが、管理人の方に偶然おあいできましたので、特別に中にいれてもらい写真をとらせてもらうことができました。 堀切りや空堀(というか竪堀かな)がよく見ることができるだけで十分でしたが、「城山公園」といわなくても別にいいと思うんですけどねえ。
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