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加茂城跡登城日:(2005.10.01) 所在地: 岡山市加茂 |
歴史 |
旧都宇郡域にあって、足守川沿いに開けた沖積平野の真ん中に築かれた平城である。築城時期は、定かでないが、古くは、地侍の岡本隼人が城主であったと伝えられる。 戦国時代末期になって、中国地方西部を支配していた毛利勢は、西進する織田方軍勢に備え、最前線となる備中南東部の南北国境沿いに、七城を構えていた。この城や、北方二キロメートルの高松城もその一つである。天正十年(1582)の秀吉の備中攻略に際し、この城には毛利方の桂広繁・上山元忠・生石治家が立て籠ったが、秀吉軍の攻撃にあって城中で内紛が起き、ついに落城したと伝えられる。まもなく清水宗治の居る主城高松城は孤立し、水攻めに晒される事となった。 城の構造は、平野の内の高まり(微高地)を土壇に仕上げて郭とし、周りの湿地を掘として利用したものである。現在高く残る土壇は二の丸に比定され、西に本丸、三の丸と続く壇の痕跡が観察され、東西に延びた連郭式の縄張りが想定される。 なお、付近には弥生時代の集落跡などの遺跡も広範に広がっている。 『加茂城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
加茂城(鴨庄城とも)は、国道180号線を西進していると大きく右に曲がるところがあり、「加茂」の信号がでてきます。その信号のすぐ次の信号を左折し細い路地に入っていきます。普通車ではすれ違うのに苦労するような道幅です。城跡があるのは右手側の民家裏の鬱蒼とした茂みを目当てにしてもらえれば到達できると思います。私も1往復しましたが「ここしかない」と思ったら当たりでしたので。(^^; 字名が「城」なんだとはあとで知りましたが、現在は回りの田んぼや畑に肩身が狭い二の丸跡だけになってしまっていました。毛利方の境目七城として(高松城・宮地山城・冠山城・加茂城・日幡城・庭瀬城・松島城)かつては激しい戦いがあったのでしょうけど今は平和な民家の裏なのでした。(^-^
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