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庭瀬城跡
登城日:(2000.01.09)
所在地: 岡山市庭瀬
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
撫川城同様、美しい堀が印象的ですね。 室町時代の末ごろ(約400年前)備中松山の三村元親は備前の固めとしてこの地に築城した。付近の地名から芝橋城とも呼ばれた。一帯は泥沼地で非常な難工事であった。その後宇喜多の重臣戸川肥後守達安がはいり(1602)古城を拡げ城下町を整えた。
元禄十二年(1699)板倉氏の居城となり明治を迎えた。自然石の石垣をめぐらした堀もよく残り、沼城の典型を示している。
寛永五年(1793)板倉勝喜は城内に清山神社を建て板倉氏中興の祖重昌、重矩父子を祭り歴代の遺品を収蔵した。(遺品は現在、吉備公民館に収蔵)
今は神社になっています。ま、定番ですが・・

『庭瀬城跡案内板』より

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資料  

私見
なんか石垣が余ってます 立派な堀と野面積みの石垣で往時の情景がよく残っている撫川城跡が驚くほど近くにあります。なぜここまで近くに城跡が連立しているのかと驚きできしたが、かつてはひとつだったんですね。
ちょうど今は城跡付近の水路を掘り起こして石垣の発掘工事をやっていました。でもブルドーザ1台で掘り起こしているそれは、とても発掘とは言えない代物です。非常に緻密な発掘を行っていた岡山城とはやはり扱いが全然違いますね。(^^;

今回7城を訪れましたが、すべて岡山市であるということで岡山が城跡の宝庫であることがよくわかりました。また近々城攻めを計画することにします。
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