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撫川城跡 登城日:(2000.01.09) 所在地: 岡山市撫川 |
歴史 |
撫川城は泥沼の地に築かれた典型的な「沼城」です。城の平面形状は、東西七十七メートル、南北五十七メートルの長方形を示し、幅十五メートルの濠がぐるりを巡っています。西半に高さ四メートル強の高石垣(野面積み)と東半には土塁が現存しています。また北西隅には、櫓台と思われる石垣の張り出しが見られます。
この城は永録二(1559)年に備中成羽城主三村家親が、備前の宇喜多直家の侵攻に備えて築城したといわれています。備中高松の役(天正十年)には毛利方の国境防備の城「境目七城」の一つとなり、当時の城主井上有景と秀吉軍との間で激戦が交わされました。その後は宇喜多の支配下になり廃城となりましたが、江戸時代に戸川氏の領するところとなりました。 戸川氏は安風(四代目)で断絶しますが、その弟達富が撫川領分を継ぎ「庭瀬城」の本丸・二の丸に知行所を設けました。撫川城跡と庭瀬城跡とに呼び分けられていますが、もともとは一体の城だったのです。 なお、入り口に現存する門は、撫川知行所総門を明治になって現在地に移築したものと伝えられています。 昭和三十(1957)年五月、県の史跡に指定されました。 『撫川城跡 案内板』より
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資料 |
私見 |
境目7城の一つである庭瀬城から歩いて2〜3分ほどのところに立派な堀や、野面積みの石垣が美しい撫川城跡があります。まるで箱庭のような小さくまとまった城跡が妙にかわいらしいです。周りの民家や町並みも城と同化しているかのように、古い城下町のつくりそのままのような雰囲気が残っています。平城で、しかもこんなに街中でこれほどの城に出会えるとは。岡山は結構城跡を残そうとされてますね。またぶらっと来てみたくなる城でした。
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