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頼久寺登城日:(2005.08.16) 所在地: 岡山県高梁市頼久寺町18 |
歴史 |
頼久寺は、暦応二年(1339)足利尊氏が安国寺として建立した禅寺である。
慶長五年(1600)小堀新介正次が備中国に1万石余を領したが、同九年に逝去したので子作介政一(遠州)が遺領を継ぐこととなった。当時の松山城は備中兵乱で荒廃しきっていた為遠州は頼久寺を仮の館とし、元和五年(1619)までこの地にいた。
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資料 |
私見 |
松山城や城下にある根小屋に行った後、頼久寺にもいってきました。城下町にあるお寺ということもあってある程度堅牢な構造を想像していましたが、何より小堀遠州がここに滞在していたということですから立派な居館跡、いや平地城館と言ってもいいですよね(^^;。 普段お寺にいく習慣がない私には拝観料に抵抗がありましたが(笑)、お庭を見ていますと気持ちが落ち着くのがわかります。遠州による築庭で、蓬莱式枯山水庭園と言うんでしたか、愛宕山を借景した美しいものとなっています。また白砂敷の中央に鶴島、後方に亀島の二つの低い築山状の島を置いて石を組み、書院左手側にあるサツキも見事です。当時の様子を今も維持しておられることにそのご苦労が偲ばれますが、じわぁという感動があります。元和の時代には小堀遠州は同じ景色を見ていたんでしょうか。 高梁市は頼久寺のほかに松連寺が同様に平地城館と見ることができると思います。松山城を目当てで当地に立ち寄られた方はこちらもぜひご覧になられてはいかがでしょうか。
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