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太鼓の丸城跡 登城日:(2004.06.6) 所在地: 和気郡佐伯町 |
歴史 |
太鼓の丸城は、室町時代以前に日笠青山城の出城として日笠氏が築城したものであるとされている。それを享録四年(1531)浦上宗景が兄正宗の拠る室山城を脱し、標高409メートルの天神山雄山に居を移し拡大しているようである。翌天文元年(1532)には、政宗が富田松山城に布陣するも、激しい戦いもなく両者陣をひく。
やがて現在の本丸がある天神山城へと移るようになると、この城は天神山城の東にある砦として存続していった。
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資料 |
私見 |
あえて天神山城とはわけて、この太鼓の丸城を紹介します。太鼓の丸城(旧天神山城)跡は現在の天神山城の東側の尾根続きにあります。標高409メートルから見おろす景色は絶景で素晴らしいのですが、ここに到達しているころには体力も使い果たしていることでしょうから(笑)、なおさら達成感も相乗効果となり、感動を味わうことができるんですね。 天神山城からは堀切で仕切られた先が太鼓の丸城となっています。大きな石が無数に転がっており、寄せ手が攻めこみにくくした作りということなんでしょうか?なによりも圧巻なのは本丸西側にある軍用石と書かれた一帯にある巨大な岩です。私の感覚では軍用石とは人が投げ下ろせるようなサイズだったりするんですが、目の前にあるのは数十人でもとても持ち上げられなさそうな大きさです。どうやらこの岩は下に小さな石を置いて、山上から転げ落とすためのものだったらしいです。実際、上からこんなのが落ちてきたら恐ろしいでしょうね。ここに集めただけでも相当の苦労を感じさせてくれます。 戦うための山城、といった印象を色濃く感じた太鼓の丸城は生々しい戦の片鱗を見せてくれているのかもしれません。 しかし、実は東側にあるビジターセンターには車で上がることができますのでアップダウンを歩くことなくいきなり城域に入ることができるんですね・・・。それを知ってどっと疲れが出ました(笑)。 そういえば・・山上の郭内に『池』という標識の遺構がありました。まさか山の上に水をはっていたってことでしょうか?ご存知な方どなたか教えてください。
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