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時枝陣屋跡登城日:(2012.05.04) 所在地: 宇佐市下時枝 |
歴史 |
元禄十一年、中津城主であった小笠原長胤がその不行跡によって江戸奥詰衆を命じられた。これにより、長胤の弟長円が四万石に減封された中津城主となり、弟の長宥が五千石の旗本となり、翌十二年、時枝陣屋となった。
長宥は江戸に詰めていたため、平素は目代、御当役と呼ばれる役人が居住して年貢を取り立てていた。
『日本城郭体系』新人物往来社刊参照
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資料 |
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私見 |
時枝城の立派な城址碑が置かれた空き地のそばには時枝陣屋跡もありました。植え込みのおかげで少し分かりにくいですが、小さな石碑と案内の標柱、そして石垣も少し残っていますね。また植え込みの中に見えるのが土塁なのでしょうか。部分的なパーツだけではイメージしにくいものの、一応そこに城があったことは実感できる状態でした。
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