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佐保栗栖山砦跡登城日:(2005.04.17) 所在地: 茨木市佐保 |
歴史 | ![]() 尾根続きの東を除く三方は急斜面で囲まれた要害の地であります。 城への通路は、佐保から福井に通ずる旧道より分かれて佐保川の枝流大谷川を渡って山上へ尾根沿いの道と、国見街道より尾根伝いの道が東から通じ、途中郭の手前約60メートルのところに、長さ25メートルにわたって幅約0.5メートルの通路が作られ、通行を制限しています。これを過ぎて少し進んだところで、佐保の谷からの道と合流して郭の入口になります。 ![]() この郭から南東へと尾根に沿って六郭があり、それに伴って竪堀・土塁や石垣の残っているところもあります。 また城の北側に井戸ヶ谷と称する谷があり、以前八角形の石積み井戸が残っていたと伝えられていますが、今は埋没していて見ることはできません。構造からすれば戦国時代頃に築かれたと考えられていますが、築造者についてはわかっていません。 国見街道と佐保より福井に通ずる道路の双方を押える位置からみて摂津と丹波を結ぶ連築城とみられ福井城との関係が考えられる遺跡です。 『佐保栗栖山砦跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() さて、城跡ですが茨木市教育委員会が発行する「わがまち茨木 城郭編」の城跡分布図のポイントが間違っていますのでうっかり違う山に登ってしまいがちです。縄張り図が載っていますので地図とにらめっこして正確に山を見極めてください(笑)。城に登る前にちょっと離れた道路沿い(城とは反対側の南側)に案内板と城址碑が置かれています。こんなところにあるとよけいややこしいのになぁと思うんですが。ま、この存在は予測していなかったのでラッキーでした。 ![]() 途中で獣除け?の低い金網を通過するとようやく木々が生えていない領域となりました。一気に周囲の眺望が広がります。城跡は大きくは4つほどの郭に分かれていますが、それぞれ段差が明確で非常にわかりやすいです。南側4郭と5郭と呼ばれる辺りには石垣跡も残っています。 この山城で圧巻だったのは3郭と2郭との連結部分の地形の妙と、その先の大きな竪堀です。特に竪堀は横掘と繋がっているような感じで深さ4メートルくらいあります。ここを登り降りするのにかなり苦労しましたよ。おまけに足首も軽く・・(痛 周囲をほぼ見渡せる絶景は想像以上のもので、痛さも忘れます。また佐保城やその周囲の砦も見渡せますのでここに築城することでかなり重要な拠点となることはよくわかります。
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